受験が終わったから考えられる、学習計画の失敗

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 毎年夏前になると妻の生徒が何人か入れ替わります。最後の追い込みのために新しい受験生が入ってきます。逆に受験直前に個別指導をやめてしまう受験生もいます。

 受験直前の夏になって退会する受験生の親を見ると、小学校受験直前の自分のことを思い出すと妻は言います。

「年長の学校別に妻は参観しませんでした」

 年長の頃、ジャックの学校別クラスの授業には毎回私が参観していました。妻は最初に何度か行っただけで最後まで一度も参観しませんでした。

 何故かと言うと、学校別クラスでは娘たちは周りの子たちより劣っていて、妻は劣っている娘たちを観たくなかったからです。

 妻は「塾」という所が好きです。だからこそ塾で教えることを仕事にしています。専門学校で教えていたこともあるし、高校で教えていたこともあります。しかし、塾が好きで塾で教えることのほうが自分には合っていると言います。元々ジャックの授業も楽しんで参観していました。

 そんな妻が年長の学校別クラスに行かなかったのは、娘たちのできの悪さが私たち親の学習計画の失敗のせいだと分かっていたからです。

「年中の途中でべんきょうのクラスをやめた」

 我が家は年中の途中でべんきょうのクラスをやめました。年少勉強は事物中心で、家庭で真似できない素晴らしい授業だと思っていましたが、年中になるとペーパーが中心となりました。

 やめた理由を正当化するために色んな理由を用意しました。

①ジャックは体操の授業にこそ価値がある。

②学習は繰り返し復習をすることに意味があるから、新しいことよりも学んだことを着実に定着させて力をつけた方が良い。

③集団の速いペースよりも、年中の時期はゆっくりと一つ一つの問題に取り組むべき。

などです。

 しかし本当の理由は我々夫婦のおごりです。

 新年少のスタートからジャックの勉強と体操に通っていた我が家は、その教室の中で上位にいると思っていました。だから、新年中から入ってくる子や、年少の頃違う曜日に通っていた子を見下していました。

 新しい子たちが入って人数が増えたことで授業の質が下がったと考えました。年中べんきょうの授業は、一時間の中でペーパーを解き、折り紙をし、課題の絵を発表しと駆け足で進んでいたので、雑な印象を持ちました。それならば家で一つ一つ丁寧に取り組んだほうが良いに違いないと思いました。

 妻は仕事の経験から、小6の段階で5年生以前の内容の定着が不十分なことが、中学受験での失敗をまねくと考えていました。小3、4で基礎を定着できていないから小6で伸び悩むと思っていた妻は、同じように年少、中で基礎が固まっていないと年長で行き詰まるから、年中の一年間は先取りをせず年少からの学習内容をしっかり定着させることを重要視しました。

 恐らく年中までの基礎が定着していないであろう多くの子たちを、年長で追い越せると考えていました。

 妻は教える仕事をしていいたため、家庭学習の取り組ませ方には自信を持っていましたし、私も信頼していました。

 娘たちの習熟に問題がないかどうかは、季節講習のペーパー系の講座を取って確認することにしました。だから、年中期の長期休みは所属教室ではない色々な教室に行きました。娘たちにとっても、講習は家族で遠くへお出かけをする日という認識になっていて、楽しそうにしていました。講習でもらったペーパーをコピーして家で何度も取り組みました。

 講習での娘たちはしっかりついて行っているように見えました。周りの子と比べてもむしろ良くできる方だと思っていました。

 今振り返るとそれは当然です、私達が取っていたペーパーの講座には、ペーパーが苦手な子や入会時期が遅い子が主に来ていたのですから。

 私たちはべんきょうの授業を取っていなかったから、当然ジャックで教わる解き方を知りません。シーソー問題の「タリタリさん」などです。娘たちは私達が教えた自己流のやり方で問題を解いていました。

 だから講習に行った先で「普段はどこでペーパーを取っているのですか?」などと聞かれることもありましたが、「取ってない」とは何となく言いにくかったのでいつもお茶を濁していました。

 実際講習に来ている子たちの中では娘たちは問題を解くのは速い方でしたし、年長に進むに当たって心配はありませんでした。自分たちの学習計画は成功したと思っていました。お得にうまくやったと思っていました。

 今になって思えば、我が家は自分たちが行きやすそうな場所の講習を受講して、優秀な子たちがいるであろう四谷教室などの講習は受けていませんでした。

 妻は自分が嫌な気持ちにならないような場所を、自然と探していたのだろうと言っています。

 だからいざ学校別クラスが始まった時に、娘たちと他の子のペーパーのレベルの差に愕然としました。はっきりと自分たちの学習計画が失敗だったと分かりました。

 我が家が繰り返し家で取り組んでいたのは講習でもらってきた比較的簡単なペーパーでした。それを年中のペーパーのレベルだと勘違いして、しっかり取り組んできたと自信を持っていました。

 我が家が簡単なペーパーを繰り返している間に、学校別クラスの子達はもっと難しいペーパーに取り組み、絵画の授業も受け、虫取りなどの経験も重ね、ロンポスなどのパズルで遊び、ずっと濃密な時間を過ごしていたのだと思います。

 娘たちは私と一緒に絵を描いていました。私は娘たちが絵が得意だと思い込んでいましたが、親と一緒に描くことはできても、授業の時間に紙を前にすると何も描けないことに気づきませんでした。

 自分の学習計画に自信を持っていた妻は、明らかな失敗を目の当たりにして、授業に参観することを拒みました。都心の教室の人気のある小学校の学校別クラスです。「周りのお母さんの服がゴージャスで自分は着ていく服が無い」などと言っていましたが、娘たちのできが良かったら、立派な服などなくても妻は授業に参観したはずです。

 我が家がそれでも心が折れずに最後まで学校別クラスに通えたのは、年中までお世話になっていた体操の先生の授業を学校別クラスのある校舎で取っていたからです。そして、年少年中と一生懸命取り組んでいた体操に関しては、年長の都心のクラスにおいても娘たちは比較的良くできていたからです。年長体操の授業には時々妻も参観していました。

 体操の授業がなかったら、心が折れてしまって小学校受験から撤退していたかもしれません。

「できの良い子ども、気持ちの余裕」

 やはり、授業に参観するなら出来るだけ良い状態の子どもを送り出して、気持ちに余裕がある状態で先生とお話したいのです。ある程度順調に進んでいるから「うちの子は〇〇が苦手で」と人に言えます。痩せている人ほど「食べすぎちゃった」と笑って言えるのと同じです。

 小中学校受験に取り組んでいるお母さんお父さんは基本的に高学歴だから、自分の立てた学習計画に自信を持っている方が多いと妻は言います。

 子どもの学力が上がらないことを目の当たりにすると、多くの親が自分の立てた学習計画の失敗だと考えるのではないでしょうか?計画に自信があるほど、失敗だと気づいたときの絶望は大きいはずです。

 我が家は当時大きく絶望しましたが、だからこそ今の学校が最高だと思うことができます。

 私はブログで「中学受験回避」と言っていますが、最初から賢く中学受験を回避しようと準備万端で臨んでいたのではありません。

 奢って、準備に失敗したからこそ、中学受験で同じような気持ちになるのは嫌だと思っているのです。小学校受験の失敗を中学受験で取り返そう考えることもできたでしょうが、そうすると終わるまでまた「受験」というフィールドに留まることになります。私も妻も小学校受験の結果を我が家の着地点だと受け入れたことで、今の暮らしを充実させ、将来の自分自身の生き方に目を向けることができたのだと思います。

 もっとも、中学受験でリベンジだと気張ったところで我々はすぐに勘違いしてしまう程度の人間なので、同じような失敗を繰り返すに違いないのですが……。

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