我慢のし時を考える。中学受験と小学校受験の比較

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 子育てをする上で、必ず親が我慢をしなければならない時期があります。

 多くの人が独身の頃に持っていた趣味があるはずです。結婚しても子どもが生まれるまでは休日を趣味の時間に充てていたという人がほとんどだと思います。

 夫婦で共通の趣味を持っていたり、お互いに認め合いながらそれぞれに違う趣味を持っていたり。

「子どもが生まれると生活が変わる」

 しかし、子どもが生まれると生活のスタイルが一変します。子育てが中心になるからです。子どもが生まれて、趣味の時間が取れなくなったお父さん、お母さんは多いですよね。

 私は釣りが趣味でしたし、妻はマイナーなバンドのライブに行くことが趣味でした。娘たちが生まれて、私は釣りに行かなくなり、妻もライブに行かなくなりました。

 最初の頃は、お互いに譲り合って休日はかわりばんこに自由な時間を作ろうと話していました。実際そのように決めている夫婦も多いのではないでしょうか。

 妻も何回かライブに出掛けました。しかし楽しくなかったわけじゃないけど、それ以上に精神的に疲れたと言います。家のことや娘たちのことが気になるからです。

男性よりも女性の方が、子どものことや家のことが気になるという方が多いでしょう。そうなると、どうしてもお母さんの方が我慢をすることが多くなります。それに、独身の頃一緒にライブに行っていた友達とも話が盛り上がらなかったそうです。子どもがいるのが妻だけだったからです。

 私も最初の頃は何度か釣りに行きました。ですが帰ったら家に不機嫌な妻が待っていて、いつもの倍以上気を使うことになります。一瞬の快楽の対価として不釣り合いだと思うようになって、結局行かなくなりました。

 お父さんが釣りにゴルフにと、育児に奮闘する奥さんを無視して休日を自分のために使えたのは昔の話です。

 特に子どもが赤ちゃんの頃は、イレギュラーばかり起きます。「今日は俺が呑みに行く番だから」と、熱を出している子どもと看病する奥さんを残して出掛けられるでしょうか?

「子どもが幼稚園に通うようになると」

 子どもが幼稚園に通うような年齢になれば少し余裕ができてきます。そのかわり休日は子どもと一緒に過ごす時間になります。家族の休日の過ごし方として、子どもと公園に行くのは妻。私は釣りということはあり得ません。

「さあ、今日は自分が遊びに行く番だ!」

と、子どもと配偶者を忘れて趣味に没頭できるとはあまり思えません。

 

 自分の趣味を子どもと一緒にという夢もありましたが、乳幼児を連れて釣りに行っても楽しくないことは目に見えていました。私は釣り場に幼稚園くらいの子どもを連れてきて、我慢できずに子どもに怒っているお父さんをたくさん見ています。

 子どもと趣味を共有する夢に出てくる子どもは、おそらく小学校3年生くらいの大きさです。そこに辿り着くまでに10年掛かります。

 しかも、今は多くのご家庭が3歳から習い事を始めます。共働き家庭なら、休日は子どもの習い事の日です。小学校受験に取り組んだら、それこそお父さんの趣味どころではありません。

 小学校受験は体験を大事にしているので、釣りも良いかもしれません。しかし、お父さんに怒られながら遠くの海で得る体験よりも、近所の公園で花や虫を探したり、家で植物や生き物を育てるほうが子どもにとってはよっぽど意味があります。

 実は小学校受験が終わってから、一度だけ娘と釣りに行ったことがあります。娘も楽しんでいたし、私も久しぶりで楽しかったのですが、私は自分が楽しむことに没頭してしまって「娘と時間を共有した」とは言えませんでした。結局自分の趣味を子どもと共有することは親の自己満足なのだと思い、釣り道具は全て処分しました。

 親の趣味に子どもを付き合わせることは、下手をすると親だけが楽しんで子どもは我慢をしているということになりかねません。

 妻も今は、自分の趣味よりも「家族で時間を共有する」ことを優先したいと考えています。だから本当は小さいライブ小屋で好きなバンドの音楽を聴きたいのでしょうが、クラシックのコンサートや劇団四季の舞台に行くことを選んでいます。

 娘たちには「普通」を知ってもらいたいからです。自分の趣味を理解してもらいたいという気持ちはありません。

「趣味も変わっていく」

 子育てをする中で、自分の趣味の形も変わっていくのかもしれません。だから子育て中は元々持っていた自分の趣味を子どもに押し付けるよりも、子どもと一緒にできる新しい趣味を見つけることの方が建設的だと思うようになりました。

 女性は出産に伴って、生活が変わります。身体も変わります。仕事も変わる人が多いです。少なくとも働き方は変わります。我慢することが増えます。男は基本的に何も変わりません。

 だから、自分の昔の趣味にしがみつきたいのかもしれません。ゴルフ、スキー、釣り、飲み会など、独身時代と同じ楽しみを続けたいと思うのは男の方が多いと思います。しかしそれは、変化も成長も拒絶して、自分だけは我慢をしたくないと言っているように思います。

 子どもが生まれるということは、男にとっても変わる機会です。

 私の知人は30歳を過ぎてから子どもと一緒に剣道を習い始め、それから何十年も剣の道を進み、剣道7段となり、教える立場になりました。引退してからも剣道を楽しんでいました。私も同じようになりたいです。

「子どもと一緒に」

「子どもと一緒に新しいことを始める」という心に行き着くには、「我慢する」「諦める」という段階を経る必要があります。人生の中で我慢するタイミングをいつにするのかを考える必要があるのかもしれません。

 我が家は小学校受験をしたので、子どもが幼い段階で私も妻もたくさん我慢しました。私立の小学校に娘を入学させるという目的があったからです。何年も我慢しているうちに、元々好きだったことはどうでも良くなって、新しい楽しみを見つけようという気持ちになれました。私は受験から開放されたことで新しい趣味を始められています。

 小学校受験をしなければ、娘が幼稚園の頃に無理やり自分の趣味に付き合わせて、我慢せずに過ごすこともできたかもしれません。

 しかし、子どもが成長するに従って確実に趣味に時間もお金も使えなくなる時が来ます。東京で子育てをする多くのご家庭にとって、それは子どもの受験でしょう。特に中学受験です。子どもが塾に模試に勉強にと頑張っている横で、親が自分の楽しみを優先させることができるでしょうか?趣味に使うお金があれば、夏期講習を取ったり、個別指導に通ったりすることにお金を使おうと考えるはずです。中学受験に取り組む数年間は親の自由はなくなります。

 そしてそれが終わった後は、親は年を取っています。子どもも中学生になれば親と一緒に何かをする年齢ではありません。「子どもと一緒に楽しめる新しい趣味」を見つけることは現実的ではありません。

「中学受験で成功すれば?」

 中学受験で成功すれば、親はまた元通りの自分の趣味に戻れるかもしれません。しかし、その場合の大成功を収められる可能性はそんなに高くないのが現実です。中学受験で親が子どもの受験から開放されるのは、最終学歴として満足しうる大学附属校に合格した場合に限るからです。進学校に入学したら大学受験まで同じ状況が続きます。

 子どもが新小3になって塾に入会するぎりぎりまで親が自分の楽しみに没頭していて、子どものできが良いということはほとんどあり得ません。中学受験で成功する子たちは、もっと幼い頃から何かしらの準備をしています。親が趣味に邁進していたはずはありません。

 そもそも生まれたての頃はどうしたって我慢をします。小学校受験をしようがしまいが、乳幼児を放置して呑みには行けません。と、なると自分の楽しみに時間が使えるのはせいぜい3〜5年程度です。

 たかだか数年の自分の快楽のためにその後の10年近くを我慢して過ごすことと、子育ての最初の6年間を我慢して今後数十年に渡って取り組める新しい趣味を見つけられたことを秤にかけたら、小学校受験をして良かったと私は思っています。

 もし我が家が小学校受験をせずに中学受験をしていたら、満足できる大学附属校に双子で揃って合格する可能性は低いでしょう。そうなると、私と妻がゆとりを持って自分の時間を持てるようになるのは娘が大学生になってからです。

 ですが大学受験が終わる頃には私も妻も50代です。私は今新しい趣味として娘たちと走って身体を鍛え直しています。それは娘が小学生で私が30代だからできることです。

 妻も最近ゆとりができたことで、昔好きだったバンドの音楽を聴いたり、ラジオの語学番組を聴いたりしています。

 私も妻も自分のための時間が増えてきています。娘たちの進路に対する不安がなく、娘たちが成長しているからです。

 先日私の休みの日に娘たちを美容院に連れて行こうかと妻に相談しました。すると妻から、もう二人だけで行けるから大丈夫だと笑われました。

 娘たちはもう二人で大体の場所に行けます。習い事も図書館も自然観察園も。これまで私の休みの日は娘たちを習い事や美容院などに連れて行くための日でした。だから自分の時間など無いと思っていました。

「自由は突然に」

 ところが、自分のための自由な時間を取れる時は突然やってきました。

 小学校受験のお教室に子どもだけで行くことはあり得ません。中学受験なら塾へは子どもが自分で行けます。だから一般的に小学校受験の方が親の負担が大きいと言われるのでしょう。

 家に子どもがいない時間がたくさんあるので、物理的な親の時間のゆとりは中学受験の方があると思います。。特に学年が上がるに連れ、塾に行っている時間は長くなります。

 しかし、親の自由は物理的な時間のゆとりよりも、精神的なゆとりによるものです。中学受験の最中に親の精神的なゆとりは生まれません。子どもは遊びたい心や好きな習い事を続けたい心を我慢して勉強しています。子どもが我慢しているなら、親も一緒に我慢しなければなりません。

 娘の学校の先にある大学は不満だからと、中学受験に乗り込んでいたら、精神的なゆとりは生まれませんでした。

 私と妻が小学校受験をしたことで得られている今のゆとりは、ご縁を頂いた今の学校が、神様が選んで下さった学校だと信じて、最終学歴として上の大学でも満足だと思えるようになったから得られたものです。

 振り返ってみると、娘の受験に取り組んでいた当時は私も妻もストレス解消のための「自分の時間」を求めていました。

 受験が終わって私と妻が得られた自分の時間は、将来の自分のための時間です。「今」のストレスを解消するための時間ではありません。建設的な時間だと思います。

 日々予想外に成長していく娘たちの姿を見つめることで「上の大学にそのまま進んでくれれば良い」と思えるようになりました。

 これから子育てをするにあたって、予想外は続くでしょう。どのようになってもその時に応じて柔軟に対応できる親であり続けたいものです。

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