子どもの受験は、夫婦の膿を出す機会

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 私も妻も受験関連のサイトを多く閲覧しているからでしょうが、いつもGoogleのお勧めには受験の話題ばかり表示されます。

「小学校受験なのか、中学受験なのか…」

 小学校受験なのか、中学受験なのか、高校受験なのか、各ご家庭の事情や考え方によるので、どれが正解ということはありません。

 それぞれの立場から「どのタイミングで受験するのか」をたくさんの方々が論じています。それぞれのご家庭の選択を否定することはできません。私もしません。

 私は単純に「小学校受験をした」という立場でブログを書いています。中学受験回避というテーマで書いていますが、中学受験を否定はしません。

ありがたいことに「中学受験回避」とGoogleで検索すると私のブログが上位に表示されます。

 一般的には中学受験を回避した場合の受験は高校受験になる気がしますが、中学受験を回避して小学校受験で決めてしまいたいという方もいらっしゃるようです。それだけ子どもの受験を考え始める時期が早くなってきているのでしょう。

 子どもが生まれた時はぼんやりと、その子の将来を考えるものです。どんな道筋を通ってどんな職業に就かせたいか考えない親はいないはずです。

 特に東京ではこれだけ受験の話題が多く上がっているのですから、どのタイミングで受験させようか悩むと思います。どの受験に取り組むにしても情報収集や教育の仕方など子どもが赤ちゃんの時から既に準備が始まっています。

「うちの子は高校受験だから、中2までは遊んでいてOK!」

とは考えないと思います。

「中学受験だから小3までは遊ぼう」

とも考えないでしょう。

 我が家は、どうせ赤ちゃんの頃から準備を始めたのだから小学校受験をしようと考えて、新年少のスタートからジャックに通いました。

 しかし、それでももっと早くから通っているご家庭がたくさんあって、新年少で入会したときには既に差がついていました。最後までその差が埋まることはなかったと思います。幼稚園受験をされている方もいらしたし、小学校受験のためにキンダークラスやベビークラスから通っているご家庭もたくさんありました。

「中学受験が選択肢の中心」

 今東京では中学受験が選択肢の中心になっているように思います。まず中学受験をするかしないかが、子どもの受験を考える上での基礎になっていて、「中学受験をしないから高校受験」なのか「中学受験をしないで済むように小学校受験」なのか、「普通に中学受験」なのかというくらい中学受験が一般的になっているように感じます。

結果的に「受験は高校からで良い」と決めたご家庭も、一度は中学受験を考えているのではないでしょうか?実際に途中まで取り組んだご家庭も多いと思います。

 小学校受験にも中学校受験にも共通していることは、始めるのは簡単だということです。新年少や新小4の段階では、費用的にも時間的にも負担は高くありません。

 最終学年は気狂い沙汰になることは、誰もが予想しています。しかし最後の一年の大変さは、大方の予想をはるかに上回ります。

 精神的にも削られます。真剣に受験に向き合っていれば、それまで見えていなかったパートナーのことや、自分の欲求に気付かされます。綺麗事ばかりではないはずです。

「夫婦の関係も荒れます…」

 確実に夫婦の関係も親子の関係も荒れます。

 小学校受験でも中学受験でも同じです。

 私は職場でもプライベートでも滅多に怒りません。娘たちの受験に臨むまでは、まさか自分が我が子に憎しみに近いような感情を抱いて、大声で怒るなんて想像もしていませんでした。そもそも私は一人っ子で、妬みの感情や、他人に負けたくないという感情をあまり意識したことがありませんでしたが、ジャックで優秀な子や立派なお父様たちをたくさん見て、自分にも妬みの感情があることを知りました。予定を把握できないことや、異常なほど忘れ物をするという欠点も表面化しました。

 妻も元々はブランド物などには興味がなく、むしろ飾ることが嫌いでした。インディーズのバンドを好んで聴きに行っていたし、貧乏な役者であった私をパートナーとして選んだくらいなので、一般的な良い企業、良い収入という価値観とは違う価値観を持っていました。しかし、子どもの受験する学校を選ぶにあたってはブランドにこだわりました。それまで好きだった劇団やバンドにも魅力を感じなくなっていました。

 妻はブランドのバッグを持って、ブランドの制服を着た娘と歩く自分を夢見ました。若い頃にはグッチやエルメスを持ちたかっただろうと思います。受験に取り組むまでその気持ちに蓋をしていたのでしょう。小学校受験をしたことでその封印が外れたのかもしれません。

 私はそんな妻を見て本当に意外でした。そんな物を欲しがるとは思ってもみなかったからです。

 売れないバンドを追いかけることや、有名ではない劇団の芝居を観ることは、妻にとって抑えている欲求の埋め合わせだったのだと思います。本当は綺麗な服を着て、素敵な鞄を持ってキラキラした暮らしをしたいという欲求を隠すために、その世界とは縁遠いものを好きだと思うことで「自分はキラキラしたものには興味がない」と納得させていたのです。

 私もそうです。一般的に良いとされるイケてる職業、高収入なんて自分の価値観にはないものだと思い込んでいました。

 小学校受験の当時、私はジャックの費用や受験の費用を気にして金勘定ばかりしていました。実際に受験費用を勘定して埼玉の学校には願書を出しませんでした。

 自分の収入が足りない現実を突きつけられて、本当は良い収入を得たかったという思いがあったことに気づきました。周りの立派なお父さんたちと自分を比べて、惨めな気持ちになりました。

 妻は私のことを

「もっと物わかりの良い懐の深い男だと思っていたのに、ケチな男!」

と思ったようですし、私も

「物の本質を理解していて飾らない女性だと思っていたのに、こんなにブランド好きで欲深いとは思わなかった!」

と思っていました。

 パートナーや自分自身の本音や隠していた部分が見えるのは、それだけ真剣だからです。

「夫婦の間の膿を出すこと」

 子どもの受験に夫婦で取り組んで話し合うことは、夫婦の間の膿を出すことです。話し合いと言えば聞こえが良いですが、実際は罵り合いだと思います。

 それが良い方向に作用するかそうではないかは、終わってみなければ分かりません。

 お互いに信頼をなくしてしまうかもしれないし、膿を出し切って戦友のようになるかもしれません。

 子どもの受験が終わった後は、家族のあり方、夫婦のあり方が変わっているはずです。何も変わらなかったということはありえません。

 もし変わらなかったとするなら、どちらかが無関心だったからです。

 だからこそ膿を出すなら早いほうが良いと思うのです。

 我が家も小学校受験だったから、終わった後もお互いの見えていなかった部分を受け入れて、楽しく暮らしています。共にまだ若いから受け入れられます。もし数年後の中学受験で表面化していたら、どうなっていたか分かりません。

 元より、子育てをしていく上で夫婦の関係性は変わっていくはずです。何故なら歳を取るからです。ですが普通ならその変化は緩やかなもののはずです。

 しかし子どもの受験に取り組むとその変化は急激に起こります。受験にはタイムリミットがあり、ゆとりがなくなるからです。

 本音でぶつかって夫婦の膿を出すことは基本的には良いことです。子どもの受験に取り組む上でのぶつかり合いは前向きなものだからです。

 大人がそれだけ真剣に向き合えるのは子どもの受験しかないように感じます。 

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『2月の心。受験後の妻のこと。』