2月の心。受験後の妻のこと。

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受験後の妻のこと

 今回は受験後の妻のことを書きます。

 僕はいつもこのブログで

「着地点が大事」

「ご縁のあった学校が一番良い学校」

と書いています。受験が終わった当初から、僕は今の学校にご縁を頂けて幸せでした。僕は低学歴ですし、そこが第二志望だということは関係なく、春になって娘たちが制服を着て学校に行く姿を楽しみにしていました。きっとどこの学校に通っていても娘は可愛いです。それは僕が父親で、娘が異性だからです。

妻は違います

 でも、妻は違います。それは妻も娘も女だからです。

 妻はやはり第一志望校に通っている娘を自慢したかったし、そこの制服を着た娘と歩くことを夢見て受験に取り組んでいました。

 だから受験が終わってからの数ヶ月、駅や街中でその学校の制服を着た子たちを見ると妻は妬ましく思っていました。

 春から私立の小学校に通える喜びはありました。ご縁を頂けた学校が嫌だった訳ではありません。

 でも夢見ていたものとは違う生活が始まることを思うと、喜びと妬みの感情が交差して心が不安定でした。

 中学受験から開放された安心感はありましたが、仕事の行き帰りで第一志望の学校の生徒を見ると辛くなり

「やはり中学受験をしてもっと良い学校に」

という気持ちが湧き上がってきました。

 年が明けて制服が届いたら少しは気持ちが前向きになりましたが、それは第一志望の制服を着られない現実を突きつけられていることでもありました。

 2月は受験を終えたお母さんたちにとって、一番複雑な時なのではないでしょうか?

 妻にとって第一志望の学校を目指して頑張った思い出は、叶わなかった初恋の思い出のようなものです。

 もしあの恋が叶っていたら、今とは違う人生だったのではないかと考えることは誰にでもあるでしょう。

 それは今の暮らしや今隣りにいるパートナーに不満だということではありません。 

 それと同じで、当然妻も今の学校に不満はありません

我が家の受験は成功だったと思います

 行きたいと思っていた学校に通えているのですから我が家の受験は成功だったと思っています。ですが第一志望の学校に関しては失敗です

 世間で耳にしたり、ブログなどに書かれていることの多くは成功体験です。これから受験に臨まれる方は成功体験を読みたいでしょう。夢と希望に溢れているからです。

 失敗体験を書いたブログもよく目にします。残念ながらどこからもご縁を頂けなかった方もいらっしゃるでしょうし、これから受験をされる方にも失敗談はニーズが高いと思います

 僕のブログのように成功体験でも失敗体験でもない、どっちつかずのブログを読みたい人は少ないかもしれません。

 でも我が家のように第一志望ではない学校に進学を決めて、成功とも失敗とも呼べない結果のご家庭が1番多いはずです

 進学先を決めていた我が家ですら、補欠だった神奈川校から繰り上がりの連絡がないことは悲しく思っていました。

 もし繰り上がりの連絡があっても今の学校を選んだと思います。ですが複数から選んだ進学先と、そこしかなかった進学先とではやはり気持ちが違います。

 他のどこからもご縁を頂けなかったことが、いっそう妻の悔しい気持ちを強めたのかもしれません。

僕も妻も文系です

 僕も妻も文系です。国語は妻が専門ですが算数は家庭で対応できないことを分かっていました。

 算数が得意な子になって欲しいと、受験が終わって最初に通い始めたのは算盤です。12月から始めました。今でも続けています。

 小学校受験でペーパーのできが良くなかったことを自覚していた我が家は、小学校では勉強で優位に立って欲しいと考えました。

 はっきりとは言いませんでしたが、妻は「うまくいけば中学受験」という希望も持っていました。

 中高もそのままで、大学も状況次第ではそのまま進学すれば良いと思えるようになったのは、実際に学校が始まって夏休み頃になってからです。

第二志望に入れたと言っても

 なぜなら一口に第二志望の学校に入れたと言っても、それはあくまで最終段階での第二志望だからです。

 受験に取り組み始めた年少の頃は早実に行きたいと思っていました。今通っている学校はもちろん、最終的に第一志望にしていた学校ですら当初は考えていませんでした

 特に我が家のような庶民家庭は

「今後塾代が掛からない」

という理由で、お母さんがお父さんを説得して小学校受験に乗り出すご家庭が多いはずです。だから我が家のように難関大学の附属を夢見ていると思います。

 受験を考える親御さんは僕と違って高学歴でしょうから、子どもには自分以上の大学を出てほしいと望むのが普通です。だから中学受験でも低学年の頃にはみんな御三家や早慶を夢見るようです。

 ゴールに東大や医学部や慶應を見ているからです。

 誰もが何年も取り組む間に、子どもの偏差値次第で志望校を変えていきます。小学校受験には偏差値がないので、周りの子と自分の子を比べて判断しているのではないでしょうか。

 それでも最終的な第一志望にご縁を頂ければ、大満足で受験を終わらせられます。ですが第二志望、第三志望に落ち着くと

「志望校を下げたのに……」

という思いが生まれます。

 何年も掛けて取り組んできたことには意味があったのだろうか?

 中学受験をすれば元々の第一志望に入れるのではないだろうかと考えてしまいます。

 小学校受験では敵わなかった優秀な子たちは中学受験はしないだろうから、ライバルにならないと思い込んでいます。

 我が家は妻の仕事柄、どんな子たちが中学受験をしているか知っています。お教室で一緒だった優秀な子が、中学受験をしないとは限りません。

 「頭の良い子」と言われたら、僕は志望校別で一緒だった子のことを今でも思い出します。

 僕は彼女よりもペーパーが良くできた子を知りませんが、それはものすごく狭い範囲での話です。当然ジャック全体でペーパーが1番だったわけではないでしょう。

 受験の結果がどうなって、今どうしているのかなんて分かりません。中学受験のためにSAPIXに通っているかもしれません

 そもそも我が家の第一志望が、彼女の第一志望だったかも分かりません。複数の学校別クラスを受講していたご家庭はたくさんありました。

 近所に住んでいるお姉さんは、有名な進学校に中学から通っています。都内の学校ではありません。

 ある日お母さんが鉄緑会のテキストを資源ゴミに出していました。まだ彼女が1年生の頃です。

 鉄緑会の指定校ではないですから、どんな経緯でそのテキストを購入したのかは分かりません。東大に行って誰かを見返したかったのかもしれません

本当なら 

「本当ならもっと良い学校に行けたはず。だからうちの子は行った先の学校では1番に違いない」

 第一志望に行けなかった悔しさを整理するために、妻はそう考えていました。

 受験が終わってから春までの間は、中学受験を回避できて良かったという気持ちと、自分をふった相手を見返したい気持ちが同居していました。

 だからSAPIXではなく四谷大塚という選択をしたのでしょう。SAPIXに行ってしまうと中学受験をすることを決めてしまうような気がします。

 かと言って進学塾以外の選択をしてしまうと、もし受験しようと思った時に間に合わないことを妻は知っています。

 ですが春になって学校が始まれば、自分が1番ではないことに気がつきます

 四谷大塚の課題は学校の勉強のはるか先を進んでいて、学校のことを優先するととてもこなせませんでした。

 小学校受験の時には何時間も勉強していたのに、たった1、2枚の宿題のプリントをやらせるのも一苦労でした。

 楽しそうな子どもたちにまた我慢をさせて、親のリベンジのために6年間受験に捧げるのが良いのだろうかと考えました。

 それで今の学校よりも良い学校に合格する保証はないのです。妻の生徒のことを思い出しても、最初の受験で入った学校よりずっと上位の学校に行ける子は多くありません。

 何より子どもたちが楽しそうでした。楽しそうな子どもたちを見ていると、親は幸せですし現状に満足できます。行事や授業参観で学校での子どもたちの様子を見ると感動しました。

入学して何ヶ月か経つと

 入学して何ヶ月か経つと入学前のモヤモヤとした気持ちは消えて、僕も妻も今の学校に娘を通わせて幸せだと思うようになっていました。

 中学受験をしようなんて気持ちは、綺麗サッパリなくなりました。

 きっとこれから先も、第一志望の学校のことは何かしらのタイミングで思い出して、その度にモヤモヤした気持ちになるのだと思います。

 第一志望の学校に手が届かなかった場合、その学校のことはいつまでも心の中に残ります

 いつかそこ以上の学校に行って見返してやろうと思います。もしそこに行っていたらどうだっただろうと考えます。

 妻も気持ちが落ち着いてからは、もう第一志望校の生徒を見て妬ましく思うことはなくなったそうです。

 でも

「どんなお家に住んでいるんだろう?」

「お父さんはどんな仕事をしているんだろう?」

と後をつけてみたくなるそうです。大好きだった学校のことをストーカーのようにいつまでも思い続けています。

 今の学校に中高まで行って、そのまま大学まで進むことに不満はありません。

 でも第一志望校の中高生を見ると、もし娘たちがご縁を貰っていたらどんな女子高生になったのかと想像してしまうと言います。

 逆に今の学校の中高生を見ても、そこまでの感情は生まれないと言っていました。良い学校であることは当然分かっているのに。

 今の娘たちを見ると、おてんばだし、大きな声で笑うし、男子は呼び捨てにするし、とてもカトリックの女子校に似合うとは思えません。

 今の学校は給食ですから、とても毎朝4時半に起きてお弁当を作る暮らしはできなかったと思います。

 でも思い焦がれていた学校に入ることができれば、きっとお弁当を作ることは苦じゃありません。娘たちも相応の成長をしていたかもしれません。

 今の学校よりも周りからの評価も高かったはずです。僕も妻も周りから「凄いね」と言われたかったのです。

叶わなかった思い出 

 人はたくさんの叶わなかった思い出を心の奥にしまって生きています。

 でもそれは心の奥にずっとしまっておくものです。夫婦の間でも話さない方が良いことかもしれません。話してしまうと「今の学校に通えて幸せ」だという気持ちが嘘になってしまう気がするからです。

 ご縁を頂いて進学した学校は、そのご家庭に1番合った学校です。

 でも、受け身でいれば勝手にそこが1番の学校になるわけではありません。

 自分たちが進んで「ここが1番だ」と思い、理想的と思える過ごし方を考え、それを形にしていくから1番の学校になるのです。だからどの学校に進学したかで、その後の過ごし方は大きく変わるはずです。

 自分から1番の学校になるように行動していけば、必ずその学校に行って本当に良かったと思えるようになります。

 だから我が家は、今とても幸せです。

 

 

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