子どもの教育と、コスパ論の親和性について

この記事を読むのに必要な時間は約 5 分です。

 私もブログで書いたことがありますが、よく子どもの教育費におけるコストパフォーマンスが論じられています。

 特に私立への進学を検討している場合は学費が掛かるため、どのタイミングで受験するのが一番コスパに優れているかと考えるご家庭は多いでしょう。

 我が家のように普通の会社員が共働きをして、給料の中からやりくりをして私立進学を目指す家庭が増えているので、費用対効果を考えることは当然のように思います。

「ゴールの大学?」

 一般的にコスパを考える場合に考慮するのは、ゴールの大学がどこになるかで考えていらっしゃる方が多いのではないでしょうか?

 高校の進学実績を見て、東大や早慶に合格者が何人いるかとか。この中学は中学偏差値がそれほど高くない割にMARCH以上の大学に半数以上合格しているとか。

 その場合、自分の子が大学受験で早慶を狙える学力を備えていることが前提になっていますが、それはずいぶん上から目線です。

 小学校受験や中学受験を考えている親御さんは高学歴でいらっしゃるから、当然子どもは自分より良い大学にと考えているからなのでしょう。

 しかし、子どもの教育費をゴールの大学を基準にして考えて良いのかは疑問です。

「コスパが良いとは、家族が幸せであるということ」

 私はコスパが良いということは、家族がどれだけ幸せになれるかで測るべきものだと考えています。家族の幸せの基準は大学のネームバリューではありません。他に考慮すべき点がたくさんあります。

 まず大前提として、子どもが学校に楽しく通えるかどうかです。

 毎年妻の生徒には学校に通いにくくなる子がいます。

 どんなにコスパが良いと思える学校に入っても、休みがちになればその分電気代も余計にかかります。親が仕事を制限しなければならなくなるかもしれません。

 それではコスパが良いとは言えません。

 学校に行けないと聞くと「勉強についていけないから」だと大人は考えてしまいがちです。

 ですが妻から話を聞くと、成績が振るわないことが理由で行きたくなくなる子は一人もいません。

 もちろん個別指導とは言え、生徒も包み隠さず全てを話すわけではないので、本当の理由は分かりません。

 ただ、妻の聞くところによると生徒たちの関心事は友達や部活のことが殆どのようです。

 「学校で孤立している」という意識が足を遠ざけるのかもしれません。

 自分のことを思い出しても、お昼ごはんの約束、登下校の約束、何かしら友達と約束していれば、ちょっとくらい気分や体調が優れなくても学校に行きました。約束を守らなければならないからです。

 大人もそうですが、人と付き合うためには心にゆとりが必要です。

 学校に行きにくくなってしまうのは、何かしらに要因で子どもの心にゆとりがなくなっているからだと推測しています。

 苦手なことがあるとか、コンプレックスがあるといった劣等感からくる孤立感もあれば、逆に「あんな馬鹿なやつらとは一緒にいたくない」という優位に立とうとする意識からくる孤立感もあります。

 どちらにしても「みんな楽しそうで輪に入れない」のです。

 子どもの心のゆとりを作るのは親です。

 だから、子どもが学校に楽しく通うためには、親が子どもの学校を好きになれるかということも重要なのではないでしょうか。

 何故なら小学校受験や中学校受験の場合、志望校の選択は親の意見が大部分を占めているからです。子どもが学校で居心地の悪さを感じているということは、数年間は過ごさなければならない学校の選択に親が失敗したということです。

 子どものことを1番分かっているのは親です。だから、子どもが楽しめそうな学校を真剣に探して、自分もその学校を楽しむ心構えが必要です。

 子育てをしている以上、家族の幸せは子どもの幸せとイコールです。

 子どもの幸せは結果論でしか測れません。

「楽しく学校に通った結果、良い大学に進学して、思ったほど費用が掛からなかった」

というのが費用対効果が高かったということではないでしょうか。

「心の隙間」

 前回、私は心の隙間について書きました。生きていれば必ず心に隙間が生まれます。全ての事柄で満たされている人など一人もいないからです。学力、経済力、体型、容姿、性格、何かしら自分の嫌な部分は全員持っています。だから憧れや妬みやコンプレックスが生まれます。

 私は子どもの頃は太っていたし、球技は全般的にできないし、大して頭も良くないし、毛深いし、天然パーマで髪の毛はクルクルだし……。毛深くて、髪の毛がクルクルなのは生まれつきですから仕方がないとしても、痩せていてスポーツができる運動部の友達を、いつも羨ましく思っていました。

 だから大人になってから、身体を鍛えることに執着しました。それについてたくさん本も読みました。今でもその執着は消えていません。

 娘に運動ができるようになってもらいたいと思っているのはそのためです。

 妻も、中学のときに憧れていた女の子の顔を今でも覚えているそうです。憧れの子が可愛い制服を着ていて羨ましかったから、娘にも素敵な制服を着せたいと思ったようです。

 大人は心の隙間に蓋をして見ないようにすることもできます。実際に私も娘たちが生まれなければ、死ぬまで蓋をしていたであろうことがいくつもあります。

 私も妻もそれぞれに隙間をたくさん持っています。一緒にいることでその隙間を埋め合えることができたのだと思います。

 娘たちには楽しい思春期を送って、あまり多くの隙間を作らないように生きていってほしいと願っています。

 何も成績が上位で、運動会では大活躍して、ダンスではセンターで踊って、音楽祭の伴奏をすることを望んでいるわけではありません。

 ただ、できなくて惨めな思いをしなくて済むようにある程度のことは身につけさせたいと考えていますし、何か1つ得意な物を持てることを願っています。

 全部が得意という子もいるでしょう。でも、何か1つでも得意なことがあれば学校に楽しく通えると思っています。

 子どもたちは毎日元気に学校に行って、親は健康で仕事がバリバリできて、家族全員が学校のことを楽しめる暮らしが、1番コスパの良い暮らしではないでしょうか。

 我が家は今の学校に通っていることで、そういう暮らしができています。だから我が家にとって1番コスパの良い学校に通っていると思っています。

 しかし今後なにがあるか分かりません。娘たちがどのようになっても受け止められるように、心構えは忘れないようにしなければなりません。

 こちらも読んでみて下さい

『コロナ禍で忘れていた『普通』なこと』