「コロナ禍で忘れていた『普通』なこと」

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双子の魔法使い

 今年はコロナ禍以来3年ぶりに娘の学校で色々な行事が行われました。運動会は全学年合同で行われ、音楽会では各クラス1曲ずつ合唱の発表をしました。運動会も音楽会も保護者が参観でき、学園祭は一般公開されました。やっぱり行事があると楽しいです。

 どの行事でも観ている保護者が泣いていました。僕も泣きました。まず娘の成長に感動します。下の学年の子を見ると、子育てや小学校受験のことを思い出します。上級生は立派で、近い将来娘もこんなに立派になるのかと想像すると泣いてしまいます。

「心が育っています」

 運動会の徒競走で上の子は転んでビリになりました。悔しくて泣きながらゴールしました。撮影した動画を、上の子は絶対に観たがりません。下の子が観ようとするとすごい勢いで怒ります。

 たくさんの大人が観ている中で転んだのですから、悔しいでしょうし恥ずかしかったでしょう。体育の授業で転ぶのとは訳が違います。良いところを見せようと気負っていたからかもしれません。転ぶまでは先頭を走っていました。

 ですが娘にとっては良い学びです。学校は失敗できるところです。失敗したほうが多くの学びがあります。転ばずに1等になって調子に乗っているよりも、よっぽど価値がある負けです。

 どの種目でも転んだりぶつかったりするシーンがたくさんありました。アクシデントがあると、そこには必ずドラマが生まれます。誰かが転ぶと子どもたちの応援の声は一段と大きくなります。転んだ子も諦めずに立ち上がって全力で走ります。みんな小学校受験を乗り越えて来た子どもたちです。諦めない心も、友達を応援する心も持っています。

 そりゃ観てる親は感動しますよね。こういうのが観たかったから、僕は頑張って小学校受験をしたのです。我が家の娘にご縁を下さったことに改めて感謝です。

「みんな上手で驚きました」

 上の娘は音楽会で指揮者をやりたかったようですがオーディションに落ちて、代わりにミュージックベルを担当していました。ちゃんとオーディションをして投票で決まるのは素晴らしいことです。さすが私立の学校で、各クラスの指揮者もピアノの伴奏者もみんな上手でした。

 ジャックの学校別クラスで1番ペーパーができたスーパーガールが、ピアノのお稽古は休まずに続けていると話していたことを思い出しました。小学校受験でも優秀な子ほどピアノなどの習い事を継続しているようです。我が家なんて、娘のペーパーのできが良くなかったので、とても家庭での練習が必要な習い事などできる状況ではありませんでした。

 娘たちは「来年は上級生が歌った〇〇を歌いたい」「下級生が可愛かった」などと二人で話していました。親が上級生の姿に我が子の未来の姿を重ねて涙し、下級生の姿に過去の思い出を重ねて涙しているのと同じように、子どもも上級生に憧れ、下級生に思い出を重ねながら成長していくのでしょう。

「失われた3年間」

 新型コロナウイルスの流行によって失われた3年間、学校行事や授業の内容が制限されていたため、僕は本来学校があるべき姿を忘れていました。運動会や文化行事で頑張る我が子の姿が観たくて、それをより良い環境でという願いを持って小学校受験を頑張りました。

 子どもは子どもで、先輩の姿に憧れ、目標とするという学習の機会を奪われてしまっていたのではないでしょうか?

「私もあの先輩のように上手にピアノが弾きたい」

「あの先輩のように速く走れるようになりたい」

と思うことは普通なことです。身近に目標になるべき人がいることが学校の意味であるはずです。だからこそ我が子をより良い学校に入れたいと願うのだと思います。より優れた人を目標にしてほしいと願うからです。

 良い環境にいれば勘違いもしなくなります。娘たちもピアノを習っていますが、来年は伴奏をしたいとは言いません。自分たちよりもずっとピアノが上手な子がいて、追い抜くことはできないと分かったからなのでしょう。

 そうやって他者との比較の中で自分の得意なものを見つけ、自分の道を見つけていくことが、小学校から高校までの12年間で子どもが行わなければならないことです。

 子どもにできるだけ多くの可能性を提供し、環境を整えることが親の務めです。だからどの親も子どもにはたくさんの習い事、良い学校と必死に頑張るのだと思います。

「将来の道を見つける」

 我が家もそうです。僕は元劇団員の冴えない中小企業のサラリーマンですし、妻は個別指導塾の国語講師です。もし娘が医療系の道に進みたいと言っても、何も力になってあげられません。当然医学部に通わせられる資金もありませんし、医学部を受験するための環境を整える資金もありません。

 それに妻はどんなご家庭の子が医学部に進学しているのか、早慶に進学しているのかを毎年見ています。

 だから我が家は小学校から私立に潜り込みました。それが1番娘たちの可能性を広げると考えているからです。習い事も

「ピアノが弾けないから」

とか

「字が下手だから」

「泳げないから」

「数学が苦手だから」

とコンプレックスにならないように選んでいます。

 我が家は収入の大部分を子どもの教育費に使っています。僕は毎月毎月引き落としが足りるか心配しています。私立に通わせているお父さんでそんな人はいないでしょう。

 だから旅行にも行けないし、妻の服も良いものは買えません。今まではコロナだったため気になりませんでしたが、最近は娘から旅行に行ってみたい、ディズニーランドに行ってみたいと言われることがあります。

 我が家はみんな布団に寝ています。受験の時は布団の上げ下ろしの練習ができてむしろ良いと思っていましたが、クラスでベッドに寝ていないのは娘たちだけのようで、ベッドが欲しいと言うこともあります。

 どれも叶えてあげることができないので申し訳ない気持ちになります。

 公立小学校に通って、習い事の数を半分にすれば旅行にも行けるしベッドも買ってあげられるでしょう。

 でもそうすると将来的に娘たちはきっと不自由になります。可能性が狭くなります。我が家が住んでいる地域の公立では、自分たちが敵わないような同級生にも出会わないかもしれません。勘違いしやすくなります。

「気づくとき」

 子どもが小さいうちは、どのご家庭でも我が子は天才です。可能性に満ち満ちています。

 ですが、よっぽどのことがない限りはどこかで我が子が普通だと気づくことになるでしょう。小学校受験をしていると、割と早い段階でそれを知ることができます。我が家のように背伸びをして取り組めば尚更です。

 気づくことは良いことですし、早ければ早いほど良いはずです。

 我が家は習い事にお金を掛けていますが、今が1番ピークだと思っています。中学生になったら習い事には通わないでしょうし、我が家は受験費用も掛かりません。アフタースクールも利用しません。年齢が上がれば必要な経費は少なくなります。

 公立の学校に行けば、逆に年齢が上がる毎にどんどんお金が掛かるようになります。中学受験が待ってますから。我が子が普通だと気づくタイミングも遅くなります。だいたいのご家庭が中学受験塾の偏差値を見て、希望する難関校に入れないことが分かって初めて気づくのだと思います。

 私立の学校に通っているから、娘たちも自分たちよりピアノが上手な子、絵が上手な子、勉強ができる子がいることを知ることができたのだと思っています。

 それは可能性を狭めているように思いますがむしろ逆です。知らないで勘違いしたまま突き進んでしまう方が可能性を狭めています。

 実際僕は勘違いしたまま大人になりました。僕の周りには演劇をやっている同級生はいませんでした。高卒で文学座の研究所に合格して、僕は天狗になりました。

 結果文学座には残れず、適当に大学に行って、結婚する直前まで演劇を続けていました。普通に大学受験を頑張って、普通に就職活動をしていれば毎月引き落としが足りるか気にしなくても良い暮らしをしていたかもしれません。演劇を辞める段になってから気付いても、大人になってしまっているとできることは何もありません。

 勘違いをして天狗になることは1番良くないことです。そして気づくのが遅いほど可能性は狭くなります。大事なのは早い段階で適度な着地点を見つけることです。

 中学受験が控えていると、小学校の行事も楽しめないように思います。音楽会の歌の練習をするよりも、組分けテストの勉強の方が大事でしょうから。

「自己肯定感が高い」

 音楽会のあった日、下の娘が好きな男の子から

「お前が好きだ」

と言われたと言ってご機嫌に帰って来ました。僕は小学生の頃は太っていたし、好きだと言ったら「キモい」と思われるんじゃないかとビクビクして、そんなこと言えませんでした。さすが私立の男の子は、自己肯定感が高いですね。

 

 誰かを好きになって苦しんだり、好きだと言われて喜んだり、そういう普通なことを満喫できる学校生活を送ってくれていて嬉しく思っています。因みに上の子は羨ましくて若干不機嫌でした。

 今回はこの辺で。読んでくださってありがとうございました。