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前回、先生と親の関わり方について書きました。
今回はその続きです。
「サービス業」
塾や習い事などは、業種別に分類するとサービス業になるでしょうか。妻も自分の仕事の半分はカウンセリングだと言っています。
子ども向けのサービス業には、その他のサービス業と大きく違う点があります。
それは何かというと、実際にサービスを受ける人と、顧客として料金を支払う人が違うという点です。先生と直接関わり、サービスを受けるのは子どもです。ですが料金を支払い、その良し悪しを判断するのは親です。
特に小学校受験・中学校受験の塾やお教室、小学生以下を対象にした習い事はサービスを受ける子どもの年齢が低いので顕著です。
先生が顧客として対応しなければならないのは親ですが、親は実際のサービスを受けることはありません。
親はその先生に対する評価を子どもというフィルターを通してしか判断できず、結果だけに着目してしまいがちになります。先生側も自分の評価を親から直接聞くことはあまりありません。
親は直接関わることが少ない先生を、子どもの話と成績などの結果からだけで評価しなければなりません。だから思い通りに行かないと先生を批判することにつながるのだと思います。
「ジャックは親が観ている」
その点ジャックは親参観型の授業だったので、授業中の子どもの様子や先生の指導の様子も親は知ることができました。
ジャックの授業は子どもというフィルターを通していますが、授業を受けているのは親だったと思っています。
先生が提供する授業の内容はもちろん、授業中の子どもの様子もすべて観ることができました。
だからもし子どもが不出来だったとしても、先生のせいだと考えることは少ないと思います。
真面目に授業を参観して、真剣に子どもの様子を見ていれば、結果の良し悪しは先生のせいではないと分かるはずです。
それでも結果如何で先生やお教室に対する不満を抱く人がいるのは、ジャックが高額で受験に対する親の思い入れが強いからでしょう。
人間は悪かった結果を自分のせいだと考えたくはありません。何かのせいにしてしまえば心が軽くなるからです。
受験の失敗が自分たち親の取り組みのせい、自分たちの子育てが未熟だった故と考えるのは、親にとっては辛いことです。
だから
「あんな教室、通っても意味がなかった」
「あんな先生、何の資格もない、ただの素人のくせに」
と思ってしまいます。
ジャックの授業は親のための授業です。子どもの授業の様子を参観することによって、親の意識が改革され、家庭学習のヒントを得ることができます。
直接サービスを受けているジャックの授業ですら不満を持つ人がいます。一般的な集団塾ならなおさらです。
SAPIXの授業を親が観ることはできません。そのため子どもがどんな授業にどんな姿勢で取り組んでいるのかを、子どもの話と持ち帰ってくる模試の結果から想像しなければならないのです。
ジャックの模試の結果が悪かったときは、普段の子どもの様子から、何故だめで何ができなかったのか想像できます。
ですが中学受験の場合は結果の数字しか知ることができません。何故だめだったのかを想像できません。もしかしたら、塾の授業中に子どもが寝ているのかもしれないのです。でも、それを親が知ることはほとんどありません。
見えないことは不安に繋がります。人間は見えないものに対して安心することはできないからです。そのため塾や習い事や学校は「先生を信じてお任せする」という親の姿勢だけで成立しています。
思い通りの結果が出ていれば、信じて任せていられるでしょうが、思い通りにならない場合は、普段見ていない分信頼ができなくなります。
やり場のない不安は解消したくなるものです。だから先生を批判したくなるのでしょう。
「先生への批判」
よく聞く先生への批判TOP3は
①子どもがいないくせに
②ただの素人のくせに
③何の資格もないくせに
の3つでしょうか。
習い事の先生や塾の講師には基本的に何の資格もいりません。学校の先生には教員免許が必要ですが、教員免許は持っていらっしゃる親御さんがたくさんいらっしゃるでしょう。
基本的に先生たちはみんな、「それが普通の人よりも得意だ」というだけのただのおじさん・おばさんです。ただの人じゃない人は子どもに教える仕事などせずに、その道で有名になっています。
その先生に習い始めた当初は「あの先生は東大出だからすごい」「あのコーチは甲子園に出たからすごい」「あの先生はお子さんが幼稚舎だからすごい」と思っているはずです。
それが思い通りにならないと分かった途端に、「ただ東大を出ているだけ」「ただ甲子園に出ただけ」「ただ子どもを幼稚舎に通わせているだけ」に変わってしまいます。
「俺だって東大だから自分で教えられた」「俺だって甲子園に出たから教えられた」と先生を見下して批判します。
特に子どもを対象にした仕事ですから、先生に子どもがいないことは批判の対象になりやすいです。
子どもがいようがいまいが先生がその道のプロであることは間違いないのですが、先生のことを悪く言いたくなると資格がないことも、子どもがいないことも悪い理由になります。
もしイチローが少年野球を教えていたら、イチローに子どもがいないことも、資格を持っていないことも批判する人は誰もいないはずです。
私も娘たちの受験に取り組んで感じましたが、大人は子どもに対して勝手な子ども像を持っています。「これくらい絵が描けるはずだ」とか「これくらいの数は数えられるはずだ」とか「これくらいの速さで走れるはずだ」ということです。
なぜかというと、大人は「幼い子ども」という大雑把なイメージで考えてしまうからです。ですが子どもの年齢が低いほど大雑把なイメージでは子どもを測ることはできません。4歳2ヶ月と4歳6ヶ月ですらできることが全然違います。
実際に私も、先生から娘たちの年齢より先の年齢で当たり前の水準のことを指摘されて、釈然としない気持ちになったことがあります。
前回の記事で書いた通り、娘たちの英語の先生は小学生を教えるのは初めてでした。ある授業で娘たちに「自由に人の動きの絵を描くように」と指示したら何も描けなかったようです。「子どもなのに自由に絵が描けないのは良くない」と指摘されました。娘たちが2年生になりたての頃です。
小学校受験を経験している私たちは、子どもが白い紙を渡されて「自由に人の動きの絵を描きなさい」と言われても何も描けないことを知っています。
しかし、先生からしてみたら、子どもらしい自由な発想でのびのびと絵を描かせたかったのでしょう。
幼い子どもだからこそ、描いたことがないものは描けません。
先生にはお子さんがいらっしゃいません。その時は私も妻も「子育てしてないから分からないのだろう」と思いました。
娘たちは絵を描くのが好きだったので、描き方の分からないものを指示されて、紙を前に何も描けないことが悲しかっただろうと想像します。
先生に子どもを預けている親の立場からすれば、先生からはできないことを指摘されるのではなく、子育てをする中で今抱えている問題を先生に共有してもらいたいのです。
共有してもらえなかったり、思い通りの結果がでなかったりすれば、先生への不満につながります。
私たちも「先生は結局ただのおじさんで、子育てをしていない人には気持ちが分からない」と考えてしまいました。
全てを先生のせいにしてしまうのは簡単なことです。ですが、それでは親の学びがまったくありません。人のせいにするということは、自分の立場や意見を変えないことです。
我が家は先生にお子さんがいらっしゃらないことも、普段はもっと年齢が上の生徒を相手にしていることも承知した上でその先生にお願いしたのです。
その先生に教わるには娘たちが幼すぎたというだけです。おそらく中学生になってから教わっていたら、素晴らしい先生だったのだろうと思います。焦って幼い娘たちを通わせた我々が悪いのです。
名前だけで志望校を選ぶと失敗するかもしれないということと似ています。
校風、教育や行事の内容、先生の感じ、生徒の感じ、自分の子と家庭に合った学校を選ぶための着眼点はたくさんあるのに、ネームバリューだけで決めてしまうのは思考の放棄です。
通いはじめてみて「こんなはずじゃなかった」と思ったときに、先生のせいにするのでしょうか。
「こんなはずじゃなかったから、こんな学校の言うことは適当に聞いて、中学受験をして出てやる」
と考えるかもしれません。
ですが、小学校受験をした、又はしようとしている理由は何だったのでしょうか?
我が家は中学受験が大変だから、何としても回避したくて小学校受験をしました。
「こんなはずじゃなかった」
と思うことが無いように、何かしらで満足して高校まで通えるであろう学校を選んだつもりです。
どのご家庭も小学校受験を選択した時の思いがあるはずです。
思い通りにならないことを、学校や先生のせいにしている親の心は、子どもにどんな影響を与えるでしょうか?
親が悪く言えば、子どもも悪く言います。学校に行きたくなくなったり、他のお友達のことを馬鹿にしたりするかもしれません。
「受験は何受験でも異常な世界」
受験は何受験でも異常な世界です。
最近伸芽会が公開している「慶応幼稚舎クラス」の体操の授業の動画が話題になっています。
「すごい」「軍隊みたいでかわいそう」「幼児にこんなことをさせて異常だ」など色んな意見があるようです。
しかし小学校受験を終えられた親御さんは、すごいとも異常だとも思わないのではないでしょうか?
あの程度のことは娘たちでさえ出来ていました。だからあれで幼稚舎に合格できるとは思えません。
むしろ線からはみ出してるし、両足とびは足が揃っていなくて雑だし……。すごいと思うのは、あのスピードで、しかもスーツで後ろクマ走りができる先生がすごいと思います。
異常だと批判している人も、実は小学校受験に関心がある人です。全く関心がなければそもそも視聴しません。
「しようと思っていたけれどできなかった」もしくは「したけれど駄目だった」人が自分を正当化するために「小学校受験なんて異常な世界だ」と切り捨てているのだろうと想像します。
小学校受験だろうが、中学受験だろうが、大学受験だろうが、受験をするということは、異常な世界に入ることです。
どのタイミングで入るか、何回入るかはそれぞれの家庭の方針です。
中学受験は異常だから、小学校受験で逃げ切りたいという意見も正しいです。大学受験は異常だから、中学受験で逃げ切りたいという意見も正しいです。反対に大学受験は異常だから、その前哨戦として中学受験で異常に慣れておきたいという意見も正しいです。
どの意見も正しいのですから、家庭の方針を外野から他人に異常だと言われる筋合いはありません。
しかし、中学受験を回避するために小学校受験をしたのに、思い通りにならないから中学受験だと言って、せっかく入った小学校をないがしろにしたり、小学校受験をやめたりするのは愚手だと思います。
本当にその小学校には魅力を見いだせないのでしょうか?小学校受験をしようと決めた時の思いは諦められるのでしょうか?
途中で路線を変更するとハードルが上がります。現状以下のものは許せなくなるからです。
家庭が異常な世界に耐えられる時間はそんなに長くないはずです。それに子どもの年齢が上がるほど、残される可能性は少なくなります。どの道にも小さい頃からそれを目指して努力し続けている子がいるからです。
受験に限らず、プロスポーツ選手を目指すのも、音楽家を目指すのも、宝塚歌劇団を目指すのも異常な世界です。異常になるのは親の熱意がそれだけ高いからです。
だからこそ、先生に対する期待も高くなるのでしょう。
親は自分がよく思われたい対象には下になることができます。モンペだとは思われたくないからです。だから第一志望で入った学校や信頼している先生は目一杯敬います。
親が先生を敬う気持ちも、見下して悪く言う気持ちも子どもに伝わります。子どもが親になったとき、どのような親になってほしいのか、その視点で考えれば先生とどのように関われば良いか分かります。子育ては親の美学です。
文句を言う人は、誰にでも文句を言います。
娘たちも、これから色んなことに挑戦し、色んな先生と関わるはずです。うまくいくこともあるでしょうし、思い通りにならなくて途中でやめることもあるでしょう。
私は親として、娘たちが上手くいかなかったときに先生のせいにするのではなく、自分や家庭の問題として捉えられる親でありたいです。
『塾や習い事、先生と親の関わりについて』
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