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そもそも「塾なし」の定義は何でしょうか?
塾の教材も使わずに模試も受けずに、お父さん手作りのオリジナル教材で勉強するなら確かに塾なしです。でも通塾しないだけで、模試もテキストも塾を利用していることは塾なしでしょうか?
それでは塾の美味しいところだけを利用して
「塾に通うなんて意味がないよ」
ということを言っているように受け取れます。
受験に関して言えば
受験に関して言えば、僕はテキストを事前に解いて子どもに分かりやすく教えるなんてできません。
でも演劇だったらどうだったでしょう?
今のところ娘たちを女優にしたいとは思いませんし、これからも思わないでしょう。
ですが、もし娘に演劇の世界に進んでほしいと考えたとしたら、自分で朗読から教えてパパ塾で日芸に文学座にと考えたかもしれません。
亀田史郎やアニマル浜口のように自分の力だけで子どもを一流のアスリートに育てたお父さんがいます。彼らと同じように子役の養成所やプロダクションの講師よりも、自分の演劇理論の方が優れていることを証明したいと考えるかもしれません。
それこそ
「そんなところに通っても意味ないよ」
です。
僕自身が演劇の成功者ではないから、叶えられなかった夢を子どもに託したいと願うかもしれません。
だから「パパ塾」をやりたい気持ちは、本当のことを言うと僕も少しは分かるのです。ただ単に娘が女優になった、息子が灘中に行ったというのでは意味がないのだと思います。
他ならぬ「自分が育てた」という事実が重要なのです。父親にとってそれは最高の価値証明になるからです。
自分の人生に
自分の人生に完全に満足していて、仕事にも家庭にも不満のない人の方が少ないのかもしれません。
何かしらやり残しがあるまま、大人になって家庭を築いている人の方が多いのかもしれません。
だからブログやYou TubeやInstagramが流行り、多くの親が子どもの受験にのめり込むのではないでしょうか。
僕自身がそうです。演劇をやめて行き場をなくした表現欲求を、絵本の読み聞かせや小学校受験に取り組むことで満たしていました。
だから他のお父さんが恥ずかしくてできないような、大きな声で歌を歌うことや、子どもを大げさに褒めるということができました。
それをジャックや幼稚園の先生から褒められることで元役者としての欲求が満たされていました。だから僕は小学校受験にのめり込めました。
受験が終わってしまったから、今度はブログを書くことで満たしています。
僕は塾に通ったことがありません。父は高学歴の文学青年で、大人になってからも小説のようなものを書いていました。僕に演劇をやらせたのも自分の満たされない表現欲求を僕に託したかったのだと思います。
僕が「塾に行きたい」と言うと「家庭教師」だと言って父が勉強を見ることになりました。当時は「パパ塾」という言葉はありませんでしたが、僕の実家はパパ塾でした。塾に通ったことがない僕は「変わり者」でした。
母も何でも自分でやろうとするタイプで、僕の髪はいつも母が切っていました。母親に髪を切って貰っているというのが子どもの頃の僕は恥ずかしく、髪を切った次の日は学校へ行くのが嫌でした。どこで切ったのか聞かれるからです。
娘に演劇をさせようと思わないのは、パパ塾やママ美容院の良くない思い出が影響しているのでしょう。僕自身が芝居のパパ塾を始めてしまうことが怖いのです。
妻は自分が教える仕事をしているからということもあるでしょうが
「プロに教わらなければ何も身につかない」
という考えを持っています。僕はその考え方に全面的に賛同しています。
塾には塾の役割
塾には塾の役割があって、親には親としての役割があります。
妻は受験における親の役割は学校や塾の先生の代わりをすることではないと考えています。だから我が家も算数はIEに通っています。
妻は国語を教える仕事をしていますが、本当はお金に余裕があれば国語も見てもらいたいといつも言っています。
第一娘たちも我々親の言うことよりも、お稽古事や学校やIEの先生の言うことの方をよく聞きます。
妻もそうしていますが、個別の先生には親のメンタルケアもしてくれる先生もいます。
僕もジャックの先生から
「お父様は頑張っていらっしゃる」
と褒められると、元気が出てモチベーションが上がりました。もっと頑張ろうと思い、不安が解消するような心持ちになりました。
集団塾の先生から時々褒められるだけでも、親の気持ちは救われて前を向けるようになります。どんなに子どもが優秀でも、受験生の親は日々不安との闘いです。
個別の先生から毎週授業の度に声を掛けてもらえたらどんなにか心強いでしょう。それで母さんの不安が少しでも和らぐなら、いっそう先生に頼りたい気持ちが増します。
小学校受験もしたけど、中学受験の方がお金が掛かったという記述が最近見受けられる背景にはそういった事情があるのかもしれません。
受験が複雑化していてプロのアドヴァイスを求める方が増えています。
塾なしで受験に臨むということは誰からもアドヴァイスを受けなくても良いというスタンスで臨まなければなりません。
塾やお教室に通うことで
塾やお教室に通うことで、先生に対する感謝の気持ちを子どもに教えることができます。
「先生に感謝しなさい」
と、口では誰もが子どもに言うでしょう。でも、本当に親が感謝をしている姿を見せなければ子どもには伝わりません。
信頼できる先生にお金を出して見ていただいているから、感謝する気持ちが生まれます。だから私立の学校にはモンスターペアレンツは少ないはずです。
公立の学校が抱えている問題の根源は、親が先生を全く敬わないことだと思います。無料だから敬う気持ちが生まれないのです。
公立の学校の先生を馬鹿にして、更に塾の先生も馬鹿にしていたら、親はいつ子どもに先生を敬い感謝する心を教えられるのでしょうか?
小学校受験では感謝の心を大事します。我が家はジャックに通ったことで、親が先生に感謝する姿を娘たちに見せることができたと思っています。
勉強を教わることだけが
塾に通うのは勉強を教わることだけが目的ではありません。
どこの塾に通っていたかというのは、子どもにとっては話題の一つです。
進学した先の学校で友達を作るきっかけになるかもしれません。実際妻が担当したことがあるJGの子はクラスの9割がSAPIXだったと言っていました。
東大に入ったら最初から鉄緑会同士で友達関係ができ上がっていて、輪に入れずに惨めな思いをしたという本もあるくらいです。
娘たちも学校で
「○曜日は塾で、○曜日はピアノで」
と言いたいようですし、年賀状や暑中見舞いには
「先生のおかげで〇〇が得意になりました」
と書いています。
僕も妻も子どもにとって自分のことを話せる親以外の大人は、多ければ多いほど良いと考えています。親には言いたくないこともたくさんあるはずです。
今は塾に行くことが当たり前で、塾は塾で子どもの社会です。競争心も育ちます。自分の位置を知ることもできます。
塾に行かないということは子ども
のそういった学びの機会の損失です。子どもを塾に通わせることで、親も同じように自身の家庭の位置を知ります。
他の家庭と自分の家庭を比較することで競争心も生まれ、モチベーションが上がります。受験への取り組みがより前向きになり、課題が具体的になります。
特に親の受験と言われる小学校受験では大事なことです。行動観察のように集団の中でしか学べないこともあります。
むしろ僕は、そういった外からの刺激を受けずに、親と子どもだけで受験を闘うなんてすごいと思います。
僕はジャックに通っていたから、小学校受験に対するイメージが変わりました。
次の授業までの課題を見つけ意識的に子育てに取り組めました。
他のお父様たちを見ることは、僕の劣等感を強めましたが、良い刺激でもありました。
朝日新聞に
先日朝日新聞社に取材をして頂きました。もし新聞に載ればブログのアクセスも増えます。とても嬉しくて、取材も楽しみにしていました。
ですが恐らく僕のブログのタイトルから、お金を掛けずに小学校受験をした家族のエピソードとして使いたかったのでしょうね。
我が家は真っ当にジャックに通っていたのでボツになったのでしょう。その後一切連絡はありませんし、こちらから送ったメールへの返信もありません。
「庶民、塾なし、縁故なしで難関校に複数合格」
よく目にするワードですが、我が家は違います。
「庶民、縁故なし、新年少からジャックに通って中堅校に1校だけ合格」
の我が家からしたら、一体どんなご家庭の方がどんな取り組み方をすればなし得るのか不思議で仕方ありません。
確かに我が家は双子でハンデはあったかもしれません。ですが僕も妻も2人で仕事を調整して3年間頑張りました。
「塾なしお受験」のブログに書いてあるくらいの取り組みは、大体していたと思います。
受験のために色んな物を我慢していました。
だから正直なところ信じられないのです。庶民と言っているだけで本当は庶民ではないだろうと思っています。
僕も「貧乏お父さん」と書いていますが、娘二人を私立に通わせて、習い事もさせて、車も持っています。本当の貧乏ではありません。
でも間違いなく私立小学校の父親としては1番貧乏です。
取材してくださった朝日新聞の女性記者は僕の職業を聞いて驚いていました。僕の業界は一般的に下に見られる職種で、小学校受験とはとても結びつかないからです。
ニーズに合わないという理由でボツになるのは仕方ないです。ですが翌日に取材して頂いたお礼と話し残したことを結構な文字数にまとめて送ったので、それに対して一切返信も頂けないのはやはり悲しいです。
新聞記者なんて僕の仕事と比べれば雲の上の立派なお仕事ですから、下らない職業の男が一端にジャックに通っていたのが面白くなかったのでしょうね。貧乏人は貧乏人らしく、お教室には通うなということでしょうか(笑)やはり僕は底辺なのだということを改めて実感しました。
都市伝説が多い小学校受験の謎を解明したいようなことを仰っていましたが、もし費用を掛けずに有名小学校にご縁を頂いたご家庭のエピソードなんかを探して記事にしたら、また余計に都市伝説が増えるだけなのではないでしょうか。
結局そういう都市伝説的な不正確な噂を作っているのもメディアです。
お金を掛けずに小学校受験をしたというお得な情報は皆が欲しがるでしょう。でもそれで成功している人はどれだけいますか?
ド庶民が何とか塾代を捻出して3年間必死に取り組んだ結果、なんとか1校にだけ引っ掛かったという事実を伝えるのもメディアの役割ではないでしょうか。
塾で働いている人はたくさんいます。多くの人が必死に塾代を捻出して受験に取り組んでいます。
我が家の収入はほとんど教育費に消えています。僕も妻も外でも家でもお酒は一切呑みません。外食はしません。旅行にも行きません。娘をディズニーに連れて行ったこともありません。そういった娯楽を極力減らせば、割と多くの家庭が小学校受験に取り組めるのではないかと思っています。
我が家は庶民ですから
我が家は庶民ですから、塾に通わずに受験に取り組むことは逆に困難だと思っています。庶民だからこそ塾にお金を掛けて、劣っている家柄を補う必要があると思っています。
ジャックに通っていなければ志望校も高望みしたままだったでしょうし、年長で模試を受けた段階で心が折れて撤退していたでしょう。折れそうになった心を支えてくれるのもやはり塾です。
小学校受験と中学受験を比較すると、小学校受験のほうが敷居が高いように思われています。
ですがそれは意識の問題です。
中学受験はだいぶ一般化されてきました。小学校受験はまだまだ人口が少なく、本来ならお金の掛からない時期に高額な教室費用が掛かるから、お金が掛かる意識が強くなるのだと思います。
ですが費用対効果を考えると、子どもが幼ければ幼いほど掛けた塾代の効果は高いと
考えています。
妻がこれまで担当してきた中には、自学ができない低学年の内こそ個別に通うと仰っていた親御さんもいらっしゃいます。
それに中学受験の費用は、受験のための集団塾に入った段階からの費用だけで考えて良いのでしょうか?
中学受験で良い結果を残すために、何歳の頃から教育にお金を掛けたのでしょう?小学校受験はしなくても幼稚園の頃から中学受験を見据えて知育教室などに通っているご家庭は多いはずです。
意味があるから年齢に応じた塾が存在していて、それぞれの年齢に応じたプロの先生がいるのです。
次回は「親の役割」について書きます。
読んで下さってありがとうございました。
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