塾や習い事、先生と親の関わりについて

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塾や習い事、先生と親の関わりについて

 受験のための進学塾をはじめとして、子どもの習い事産業がどんどん拡大していっているように思います。

 東京で子育てをしている家庭の多くは、子どもの教育費に一番お金を掛けているのではないでしょうか?

 塾や習い事の先生との関わり方は、今や親にとって大きな関心ごとの1つです。今回は先生と親との関わりについて考えました。

「教育産業は市場が拡大している」

 私達家族が暮らしている地域で一番大きな駅の周辺では、毎日子どもの習い事や塾に通う家族をたくさん見かけます。教育産業は市場がどんどん拡大しています。

 フォーマルな出で立ちの幼児を連れていれば、小学校受験のお教室に行くのだろうとすぐに分かります。塾や習い事のオリジナルバッグを持っている子もたくさんいます。

 今や土日は家族でレジャーを楽しむ日ではなく、子どもの習い事や塾を詰め込んで親が送り迎えをする日になっている家庭が多いのではないでしょうか?

 娘たちが低学年の頃は学校から帰ってくるのが早かったので、毎日バランスよく習い事のスケジュールを組んでいました。ところが学年が上がると帰宅時間が遅くなります。宿題の量も増えます。通学に1時間半程度かかる娘たちの帰宅時間は17時半頃になるので、平日に習い事を入れるのは難しく、結果的に土曜日に掛け持ちをしています。

 私立や国立に通っていて中学受験を控えていない妻の生徒にも、土日に習い事をいくつも掛け持ちしている子が何人もいます。

 習い事の種類もたくさんあります。ピアノ、習字、そろばん、水泳、体操、サッカー、野球、絵画、バレエなどの昔からある王道に加えて、テニスやゴルフ、乗馬などのハイソな習い事も一般的になってきています。プログラミングやサイエンスなど、私たちが子どもの頃にはなかったような習い事もあります。

 ピアノ以外の楽器を習っている子もたくさんいます。去年中学受験を終えた妻の生徒はチェロを習っていましたし、娘の友達はオーボエを習っています。私が数年前まで通っていたボクシングのジムにも小学生の子が通っていました。どんなものにも何かしらの教室があり、子どもが習えないものを探す方が難しいくらいです。

 休日や長期休みを利用した子ども向けの体験ツアーや1日教室もたくさんあります。我が家でもスキー教室など定期的に利用しており、先日はかけっこ教室に参加してきました。

「大学附属の私立に通っているメリット」

 我が家は娘たちが大学附属の私立小学校に通っているメリットを目一杯享受しています。下の娘は最近走ることに目覚めて、中学に進んだら陸上部に入るそうです。

 貧乏お父さんとしては靴だけで済む陸上は大歓迎です。バスケなどの集団スポーツをやらせたいとも思っていましたが、私は球技にはほとんど興味がありません。当然できないし、テレビで観ることもありません。陸上は私も好きで良く観ますし、娘たちと一緒に走ることを夢見ることもできます。

 私立女子の花形はダンス部です。娘たちの小学校にもダンスクラブがあり、学園祭や運動会で踊るので、それはもう目立ちます。ですが我が家はバレエは習わせていません。私も役者でしたが踊りの才能は一切ありません。2年ほど習いましたが全く踊れるようになりませんでした。

 ダンス部の子たちは小さい頃からバレエやダンスを習っているでしょうし、娘の同級生にはお母さんが舞踊の先生をしていらっしゃる子もいます。ダンスクラブに入りたいと言っていた上の娘にそのことを言ったら、あっさりと「じゃあやめた」と言いました。

 結局親ができないことを子どもにやらせるのは難しいことです。勉強もスポーツも同じです。娘たちも、習っている子がいる中では習ったことがない自分は惨めになることを分かっているようです。

 例えば娘たちはピアノを習っていますが、上には上がいることを既に知っています。習い事にお金を掛けているご家庭が多く、既に色々なスキルを持っている同級生がたくさんいる環境にいるおかげで、身の程をわきまえています。

 娘が好きなことを応援できるのも大学附属に通っているからです。勉強以外のスポーツや芸術ごとに向き合えるのも「大学に行ける」という保険があるからです。陸上に打ち込んでいても大学に行けるし、仮に挫折して途中で辞めても大学には行けるのです。

 実際娘の同級生にはヴァイオリンやフィギュアスケートやダンスなどに打ち込んでいる子が何人もいます。

 親であれば誰でも、子どもには好きなことをやってもらいたいと思っています。ですが大学には行かなければならないとも思っています。

 スポーツや芸術で優秀な成績を残して推薦で大学に行く道もありますが、それは険しい道であることも分かっています。それにもしその道で望みが叶わなかったときに、そこから勉強にシフトチェンジするのは無理です。

 保険が掛かっているということは、精神的にゆとりが持てます。大学附属ではなくても推薦枠をたくさん持っている私立の学校は多いです。妻が教えている附属幼稚園からある女子校に通っている子の話では、東女と本女にはそれぞれ何十という数の推薦枠があるそうです。だから行って意味のない私立の学校なんてないのです。

「習い事や塾の先生」

 親の考え方次第で塾や習い事の先生は「良い先生」にもなり「ただの素人」にもなります。

 私はジャックの先生方に大変感謝をしていて、子どもへの教え方や親への接し方など「さすがプロ」だと今でも思っています。が、web上のレビューなどでは「子どもが私立に行っているだけのただのおばさん」などの悲しい投稿も目にします。

 そういう投稿を見ると、きっと上手くいかずに恨みを持っているのだろうなと想像してしまいます。

 親が先生に感謝の気持ちを持てるか、またその習い事に対してどれほどの熱意を持っているかで、先生への見方が変わってしまうようです。

 妻の友人は息子さんにバスケを習わせていましたが、先生と練習内容で揉めて辞めてしまったそうです。妻と会った際に、その先生のことを

「ただの素人のくせに、えらそうに」

と話していました。

 では素人ではない指導者とは誰のことなのでしょうか?塾の先生も習い事の先生も、みんなただのおじさん、おばさんです。妻も国語の講師として糧を得ていますが、ただおばさんです。ジャックの先生もそうなら、SAPIXの先生もそうです。

 誰もが認めるプロに教わるということは、イチローに野球を教わるとか、蜷川幸雄に芝居を教わるとか、マニー・パッキャオにボクシングを教わるということです。

 確かにそういった人たちに教えを受けている人もいるでしょう。ですがそれは習う方も一流の人たちです。

 例えば陸上の桐生は室伏広治に教えを受けて記録が伸びました。智辯和歌山の高校生にイチローが指導したことも有名です。

「ただの素人」

と言ってしまったら、子どもの習い事の指導者はみんな素人になってしまいます。

「感謝の心」

 先生への気持ちは、まずその先生に感謝できるかどうかです。

 その先生から教わったことで良い思いをしていれば、素晴らしい先生だったと思えるのでしょう。ところが「ただの素人のくせに、えらそうに」と思ってしまうのは、きっとその先生に恨みがあるからです。

 ですが、先生方は誰もその道で何年も仕事をしています。何千という数の子どもと家庭を見てきています。少なくともその分野に関しては自分たちよりもずっと先にいます。「その先生に教わったせいで元よりも悪くなった」ということはあり得ません。だから先生に対して恨みを持つことは家庭にとって不幸です。

 小学校受験は子どもに「感謝の心」を大切にするように家庭でも取り組まなければなりません。

 しかし、肝心な親が「行っても意味のない学校」「ただの素人の先生」などと言ってしまったら、どうして子どもに感謝の気持ちを持つように教育できるのでしょうか?

 妻は20年余りの講師生活の中で、生徒のお母さんから

「私も教員免許を持ってます」

と言われたことが何度かあるそうです。そういうお母さんは何が言いたいのだろうと妻は私に話します。

 塾の講師だと威張っていても、自分だって教員免許を持っているから子どもに勉強くらい教えられる。私立の先生だと威張っていても公立の先生と変わらない。ということを言いたいのでしょうか?

 塾であれ習い事であれ学校であれ、子どもに教えることを生業としている人に対して「ただの素人」と言うなら、教員免許を持っているだけの親はもっと素人です。

 普通は「ピアノを弾ける」ことを相手に話すものです。「ピアノを持っている」と自慢する人はいません。

「そのことに対する熱意」

 その習い事に対する親の熱意も、先生との関係を考える上で大切です。

 妻の生徒のお母さん方の多くは、受験学年になるとメールなどの対応が変わるそうです。やはり受験学年になると熱意が増すのでしょう。

 先述した妻の友人も子どもがバスケを習うことに対して強い熱意を持っていれば、先生と練習内容で揉めて辞めさせるようなことはなかったと思います。

 公立小学校に対して文句を言う親が多いのは、公立の学校に対して強い熱意を持っている親がいないからです。誰もが「義務教育だから」「無料だから」行かせているに過ぎません。

 妻の友人もたまたま近所に無料のバスケのチームがあったから参加しただけのようです。どうしてもバスケをやらせたいからと、チームを探して、吟味して、お金を払って習わせていれば先生に対する気持ちは違ったはずです。

 だから私立の小学校や中学校を受験することは意味のあることです。長い準備期間を掛けて真剣に取り組めば取り組むほど「絶対に私立」という気持ちが生まれます。熱意が高まり、先生への感謝の心も持てます。

 熱意は時間に比例します。

「ただの素人」とか「行っても意味がない」という人は、恐らく実際には受験していないか、もしくはしたとしても準備期間が短かった人なのではないかと思います。短い期間で簡単に準備したから、簡単に諦められます。

 娘が通っている学校も、人によっては「行っても意味がない」と言われるでしょう。ですが我が家にとっては、三年以上掛けて準備して他の学校からはご縁をいただけなかった中で、唯一ご縁をいただけたかけがえのない学校です。意味がないなどと言われたら腹も立ちますし悲しくなります。

「先生は利用するもの」

 先生はそれぞれの家庭に合うように「上手に利用するもの」です。

 先生にも感情があるため、熱心なご家庭、長く見ている子にはやはり思い入れが強くなると妻は言います。当然ぞんざいに扱われたら気持ちも離れます。子どもは楽しく熱心に取り組んでいるのに、親が先生との関わりをないがしろにしてしまうことで子どもが損を被ることも考えられます。先生も思い入れが強いご家庭を優先します。

 だから、親と先生の関わりはとても大事です。

 我が家は妻が講師業をしていることもあり、娘を見てくださっている先生方には感謝の気持ちをもって接するように心がけています。お月謝をピン札にすることや、報告のメールへの返信など、妻のお客様のお母様方の良いところを真似しています。

 些細なことかもしれませんが、人と人との関わりは些細なことの積み重ねです。

「ただの素人のくせに」

と思われている親に対して、どうして熱心に付き合えるのでしょうか。

 先生との関わりを良好にすることは、家庭にとっても良いことです。

 親が先生に感謝して敬う姿勢を見せていれば、それは子どもにも伝わります。

 我が家は以前娘に英語を習わせていました。娘の学校にも帰国子女の子やハーフの子がいます。当然英語がよくできるそうです。私立の学校なので1年生から英語の授業があります。我が家はそれまで一切英語に触れさせてこなかったため、娘たちは英語の授業がつまらないと言っていました。

 妻は娘たちに英語に対する苦手意識を植え付けさせないために、よくある子ども向けの楽しい英会話スクールではなく、中学からの学習につながるような文法を教えてくれる教室を探しました。

 偶然自宅の近所に個人で経営されている英語の個別指導塾がありました。先生は小学校の低学年に指導したことはないとのことでしたが、実験的にということで快く引き受けて下さいました。身近な物の英語での言い方を探したり、国の名前を英語で書いたりと、毎回色んな授業を考えて下さいました。娘たちも楽しんでいましたし、元々大学で国際政治を教えてらした方でしたので、将来的に社会も教われれば良いと妻と話していました。

 しかし、やはり小さな子どもに教えるのは難しかったようで、1年ほど通った頃先生からの申し出で終わりになってしまいました。

 妻は「素晴らしい先生だったのに、教わるには娘たちが幼すぎて、自分が焦りすぎたのだ」と思っています。私も妻も今でも機会があればまた教わりたいと思っています。

悪く考えれば

「元大学の先生だなんて威張ってたくせに、小学生に教えられないなんてただの素人のおじさんじゃん。頭を下げて、時間もお金も損をした」

とも考えられます。

 先生から指導を終了したいという連絡を頂いたときは悲しかったですし、実際に上記のような気持ちもありました。

 ですが、我々は先生が小学生を教えるのは初めてだと承知した上でお願いしました。先述の妻の友人も、専門のコーチではないバスケ経験者のお父さんが指導するチームだと知って入っているはずです。

 自分たちの思い通りにことが進んでいる間は「さすが、プロの良い先生」だと思います。しかし、思い通りにならなくなると「ただの素人のくせに」とか「通わせても意味がない。あれくらいなら私でも教えられた」と思います。そう思うことで、まだそこに通っている他の家庭の上に立っているような気になるからです。

 ですがやはりそう考えてしまうことは不幸です。その考えは子どもにも伝播します。

 先生と親が良好な関係を築ければ、その家庭にとって心強い存在になります。

 それは塾や習い事の先生だけでなく、学校の先生も同じです。

 私は娘の小学校受験に取り組む中で「感謝する心」を持つことの大切さを知りました。悪く言ってしまえば、何でも悪く言えます。ですが親の考え方1つで、家族みんなが幸せに過ごすことができます。小さい内は特にですが、子どもは基本的に教わっている先生のことは好きなはずです。

 その教室や学校が、子どもや家庭にとって幸せな場所になるか、不幸な記憶になるかは表裏一体です。

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