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中学受験は親子の受験と言われるので、受験生の親は「伴走者」と例えられていることが多いです。
子どもの受験に親が深く関わるのは小学校受験と中学校受験だけです。大学受験生に親がしてあげられることはお金を出すことだけです。
そこで今回は小学校受験と中学受験における「伴走」について考えました。
「これも小学校受験のメリット」
先日39歳になりました。妻から文章が稚拙だと言われます。
そこで今年はもっと良い文章を書けるようになるための「学びの1年」にしたいと思います。それに伴い、今まで「僕」と書いていた一人称を「私」と改めることのしました。
働きながら子育てをしている中で、自分自身の学びの時間が持てるのも小学校受験をしたことの恩恵です。
「丸投げとは?」
妻の生徒の親御さんにも色んなタイプの方がいます。多くの親御さんが受験の数年間は子どもと四六時中一緒にいるようですが、個別の先生に丸投げしているお母さんもまれにいます。
娘たちは私や妻が言うよりも、学校の先生やIEの先生に言われたほうがよく勉強します。だから個別の先生に任せておいたほうが勉強するのではないかとも思います。共働き家庭にとってはその方が都合がいいですが、残念ながらそうはならないようです。もっとも、丸投げするには予算が莫大に掛かるので、とても普通の共働き家庭が賄えるような金額ではありません。
妻の話だと、これまで丸投げでうまくいったお家はないようです。やはり集団塾+個別指導+親の伴走が必要不可欠です。
親が一切の勉強を見ずに朝早くから夜遅くまで仕事に出かけて、各教科の家庭教師が日替わりで来るという状況を聞けば、丸投げだと誰でも分かります。ですが親が子どもと四六時中一緒にいても、子どもの学習状況やどこに躓いているかを把握せずに、勉強は個別の先生に任せているのも丸投げです。
個別の先生と密に連絡を取り合いながら、子どもの状況を把握して学力の向上に取り組むのも親の仕事です。自分で問題と向き合ってみて、子どもがどんな問題に取り組んでいるのか知ることも必要です。私もブログを書くに当たって、SAPIXのマンスリーの問題を解いてみたほうが良いと妻から言われています。
普通の家庭では予算の都合で個別にはお金を掛けられないご家庭のほうが多いでしょうが、結局中学受験も富裕層が多いため、多くのご家庭がSAPIX+個別指導です。集団塾と親の伴走だけで成績上位の子たちと競うためには、個別指導の先生から指導を受けるのと同等の仕事を親がしなければなりません。
個別指導の先生の仕事は、もちろん子どもの学習を見ることです。ですが妻の仕事を見ていると、それだけではなく「受験生の親の伴走」も仕事なのだと思います。
「お母様(お父様)は頑張っていらっしゃる。このまま頑張ればお子さんはきっと伸びます。強いて言えば〇〇にもう少し意識的に取り組んで下さい」
と言われれば、親はどれほど安心して受験に臨めるでしょうか。娘たちの小学校受験の時に、その安心があればどんなに良かったでしょう。ジャックの先生に時々声を掛けていただくだけでも、気が引き締まって気持ちが前向きになりました。
親が安心できればそれだけ子どもを怒らずに済みます。ジャックで先生に激励を受けた後の数日間は娘たちを怒らずに過ごせました。
小学校受験でも「個人の先生」というワードが頻繁に出てくるように、ジャックや伸芽会+個人の先生というご家庭はたくさんあります。我が家もそのことは分かっていましたが、個人の先生にお願いするような予算がありませんでした。
ですが、妻は個別指導の講師で私は元プロの劇団員です。自分たちは小学校受験に必要な分野に関してはプロ並みの仕事ができるだろうと思い込んでいました。
我が家が集団塾+親の伴走で受験を乗り越えられるのは小学校受験だけだと思っていたので、中学受験回避のために頑張って取り組みました。私は中学受験では一切役に立てないことも分かっていました。
ですがやはり個別の先生に見ていただいて、声掛けをしていただいていたら、怒る頻度も少なくなり、より効率的に受験に取り組めたはずです。
「良い伴走者」
結果的に我が家は、特にお行儀に関することは全くだめで、ペーパーも算数の分野は全然及びませんでした。算数は両親ともに苦手な分野だし、出が庶民の我々夫婦は品のある立ち居振る舞いなど持ち合わせていません。それに親が得意なことだからといって、子どもに指導する役目を親が担えるわけではありません。
私は子どもが「できない」という事実しか見られませんでした。だから怒ってしまいました。私はもちろん妻にとっても小学校受験は初めてのことだったので、このまま取り組むとどの程度まで習熟度が上がるのか先行きが見えませんでした。だから不安になりました。出来ないことに怒って、先が見えないことに焦るからガミガミと言ってしまいました。
だからこそ「ちゃんと力がついてきている」という声掛けが、心強い後押しになるのだと思います。走者である子どもに声掛けをして後押しするのが、伴走者である親の役割です。良い伴走者たる心を保つために、親への後押しが必要なのだと思います。
そもそも怒った親にガミガミ言われながら勉強するのと、優しい個別の先生と楽しく勉強するのと、子どもにとってどちらが良いでしょうか?
中学受験は4教科あります。国語、算数、理科、社会とそれぞれの科目にプロの先生がいます。親が全ての教科をそれぞれのプロの先生と同等の仕事をするのは、困難な道だと思います。
特に共働きによって家計が成り立っているご家庭の場合、子どもが受験に向かう環境を整えることも難しいです。
中学受験の子たちは夜遅くまで勉強しています。子どもが一人で勉強しているからと言って、仕事に時間の大半を費やして子どもと関わる時間が少ないのは良くありません。親は仕事をしているにしても、子どもが勉強している横で親も資格の勉強をしていたり、仕事のためにパソコンを叩いている方がまだ良いのではないでしょうか。当然親が夜にジムに出かけてしまったり、家で晩酌しながらテレビを観ていたりするわけにはいきません。放置では学力は上がりません。
塾代が嵩んでたくさん稼がなければならないのに、仕事にかまけていると上手くいかない。ものすごいジレンマとの闘いです。
かと言ってあまり五月蝿く口出しするのも良くありません。子どもにもプライドがあるからです。
中学受験の伴走はこの距離感が難しいのでしょうね。妻のお客様たちも皆さんこの距離感に悩んでいらっしゃいます。
お母さんがあまりあれこれと手を焼くと、自分のことを何も管理できなくなってしまいます。実際に自分の予定を把握していない小学校6年生はたくさんいます。電車に乗って学校に通うのは子どもです。
妻がこれまで担当してきた御三家などに合格したような優秀な子たちは、予定も全て自分で管理していたそうです。そういう子は私立や国立の小学校に通っている子が多かったようです。
先回りしてあれこれ手を出したり、点数だけを見て怒ったりすることは伴走ではありません。子どものペースを無視して、親が手を引っぱって先を走るとうまくいきません。子どもは必ずバテます。
「子どもの伴走をすことは」
親が子どもの受験の伴走をすることは、自分のための時間を一切我慢することです。自分の欲求を我慢して子どもと一緒にいるとストレスが溜まります。
私も小学校受験の時は、幼稚園の子ども相手でもストレスが溜まってよく怒りを爆発させていました。小学校高学年の子ども相手ではなおさらだと思います。
本来なら、親自身のキャリアアップや趣味の充実に当てられたはずの時間は、子どもの受験の間の数年間確実に停滞します。小学校受験で上手く行かなければ中受、中受でだめなら高校受験をすれば良いと簡単に言う人もいますが、それは自分の時間を持てるようになる時期をどんどん先送りにすることです。
その間に自分は確実に歳をとって、職場の同僚はどんどん先に行っています。
小学校受験から逃げるときには「中学受験なら子どもが自学自習できるから」と思いたいものです。その家庭にとって最初の受験だったりすると「次の機会にはもっと上を目指せるに違いない」と期待してしまいます。私も妻も実際にはそうならないことが分かっていたので、なにがなんでも小学校受験で終わりにしました。
私の稼ぎだけでは中学受験はもちろん、家族4人の東京での生活を維持することすらできません。我が家は共働きであることが絶対です。だから中学校受験の伴走は私も妻もできません。
妻の生徒の親御さんには、子どものメンタルもバイタルもきちんと把握して、良い距離感とペースで伴走している方がたくさんいらっしゃいます。私は妻から話を聞くだけですが、そういう親御さんのことを夫婦共に尊敬しています。
子どもが中学受験をする年齢は、本来なら親が仕事を制限する必要のない時期です。
小学校受験に関しては、子どもが幼いため親が仕事を制限することは当然です。受験してもしなくても、どこの家庭でも同じです。
それに、幼稚園の子どもは親と一緒にいれば幸せでしょうが、小学校高学年の子どもは親なんかより友達と一緒にいたい時期です。親に見張られて勉強するよりも、友達と遊ぶほうが楽しいに決まっています。だから子どもが抱えるストレスも中学受験の方が小学校受験よりもきっと大きいに違いありません。
妻の生徒にも
「もう勉強はしたくない。中学に行ったら遊びたい」
と言う6年生がたくさんいます。何年間も我慢して勉強してきたのですから当然です。高偏差値の子でも同じように言うそうです。
あくまで庶民層の話ですが、小学校受験はまだ参入する家庭が少ないので、私立小学校に通っていると言うだけでもステータスです。もしかしたら、住んでいる地域にも職場にも、張り合う相手なんて誰もいないかもしれません。
ですが中学受験はある程度の経済状況の家庭にとって当たり前になっています。当然同じ地域に中学受験経験者も現在進行形の家庭も多くあるでしょうし、職場でも同じです。張り合う相手がたくさんいます。そうなると、それだけ目標地点も妥協できる地点も高くなってしまうのは当然です。
だから本来伴走者である親のほうが、子どもの手を引っ張って突っ走ってしまいます。
我が家の小学校受験でも感じたことですが、受験生の親に必要なのは穏やかな心です。張り合う相手が多いほど、心を穏やかに保てなくなります。「あいつには負けたくない」と思うでしょうし、「あいつより優位に立ちたい」と思います。
「アクセサリーを求めていませんか?」
子どもの受験の伴走は親自身の見栄やプライドとの闘いです。小学校受験も中学校受験も、志望校を探すのも最終的に決めるのも親です。親が自分のアクセアリーとして満足できるかどうかです。アクセサリーとして満足できる学校に子どもの偏差値が追いつかないから親は焦るし怒ります。満足できる学校に到底手が届かないと分かるから、機会を先送りにしようとします。
本当に心から「子どものために相応しい学校に」と思えれば心は穏やかなはずです。ですがそれは無理な注文です。親はお金と時間を費やしています。世帯収入における割合が高いほど必死です。
口では「子どもに良い環境を」とか「子どもに合った学校に」と言うでしょうが、本音は違うかもしれません。我が家も本音では、自分たちがアクセサリーとして満足できる学校にご縁をいただくために頑張っていました。
妻のお客様の中にも、偏差値的には到底かなわないと分かっていながら「子どもに悔いが残らないように」と言って、当初の第一志望校の受験をするご家庭がたくさんあります。悔いを残したくないのはきっと親の方です。
我が家は小学校受験で入ったから今の学校に満足しています。ですが娘の学校は中学偏差値的には高い学校ではありません。
もし中学受験で入ったとしたら満足できるか分かりません。
受験は誰も不安との闘いです。「ここまでいけば合格できる」という保証が何もないからです。娘たちはペーパーで難しい問題に取り組んでいると、自分の回答が合っているのかを確かめるように私の顔を見ました。
伴走者の仕事は走者の不安を取り除くことです。できない娘たちを怒って、自分のアクセサリーを求めていた私は、小学校受験の伴走者としてちゃんと仕事ができていたでしょうか。伴走者としてちゃんと仕事が出来ていたら結果は違ったかもしれません。
『「怒らない」分かっていてもできなかったこと』
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