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子どもの教育費はいくらでも掛けられてしまいます。子どもを持たない理由の第一位が教育にお金が掛かるからです。
実際我が家は収入のほとんどが教育費に回っています。お給料が入っても右から左で翌日にはほとんど残っていないので悲しい気持ちになります。
僕は地方出身です
僕は地方出身で高校まで公立に通っていて、習い事も演劇だけで塾にも通っていません。
東京で子育てをしなかったら、きっと子どもの教育にお金が掛かることを一生知らずに過ごしていました。
演劇をしていた頃の僕なんて非課税枠で税金を収めてもいないのに政治批判をして、劇団四季や大きなプロデュース公演の芝居を通俗だと言って観もしないで否定していました。
そんな僕がいざ子どもを持ったら劇団四季は好んで観るし、小学校受験までしたのですから人生は何があるか本当に分かりません。
子育てが始まると
子育てが始まると大人になって忘れていた子どもの頃のコンプレックスを次々に思い出します。
好きなように生きている間は、成長過程で感じた惨めな思いを思い出さずに過ごせます。
自分より良い暮らしをしている人や、自分より能力の高い人のことは見なければ良いのです。
僕が劇団四季の舞台を観に行かなかったのは、自分より華やかな舞台で活躍している人たちを見たくなかったからです。
妻は元々自分の学歴に不満は持っていません。
ですがやっぱり娘には自分よりももっと上に行って欲しいと願うものです。仕事で良い学校に通う子をたくさん見ます。
小学校受験をさせたいという気持ちが生じるのは当然だと思います。
元々ブランド物にも家にも車にもあまり興味はありませんでした。むしろブランド物を持って外車に乗って戸建てに住んでいる人たちを馬鹿にしていたくらいです。
物で飾ることより教養やスタイルの方が大事なのだと言っていましたが、それは持てない悲しみに蓋をしていたのかもしれません。
だからいざ子育てが始まるとベンツやエルメスや綺麗なお家を気にするようになりました。自分たちがみすぼらしく思えてきて「私も欲しい」と言うようになりました。
小学校受験が盛んな地域ではないですが
我が家の住んでいる地域は小学校受験が盛んな地域ではないですが、娘たちが通っていた幼稚園はその中では意識高い系の幼稚園で小学校受験をするご家庭も多く通っていました。
もちろんカジュアルな服装で送り迎えをしているお母さんたちもたくさんいるのですが、毎日紺のワンピースとブランド物のバッグでばっちり決めているお母さんもたくさんいました。
幼稚園近隣の目立つ場所に駐車場を借りて外車で送り迎えをし、小学校受験をするのが1番のステータスでした。
幼稚園でご一緒だったお母様に、我が家がお手本にしているお母様がいらっしゃいます。
そのお母様はいつもお似合いのモンクレールを着て、BMWの1シリーズに乗って送り迎えをしていました。下のお嬢さんが娘たちと同級で、私立小学校の制服を着た上のお子さんをたまに幼稚園に連れてきていました。
きっと1シリーズはお母さん用で、立派なお家にお父さん用のピカピカの7シリーズが停まっているに違いないと僕も妻も思っていました。
偶然我が家が年長で引っ越した先が近所だったので、後になってからご自宅を知りました。
実際には1台だけの駐車スペースに1シリーズが停まっていて、ピカピカの7シリーズはありません。たまに見かけると今も当時着ていたモンクレールを着ていらっしゃいます。
堂々としていれば、周りから実際よりもずっと良いイメージを持たれるというお手本にさせてもらっています。
自分からわざわざ話さなければ知られることはないのです。
お嬢さんは二人とも同じ学校の制服を着ています。そこが第何志望の学校かなんて誰も知りません。堂々としていれば第一志望の学校に二人とも合格させて「すごい」としか思われません。
反対に11月から幼稚園に全く来なくなってしまったご家庭もありました。
小学校に入学してから、偶然そちらのお嬢さんと娘たちが習い事で一緒になりました。聞くと国立の小学校に通っていらっしゃいました。
普通なら国立に合格することはすごいことです。第一志望にしているご家庭もたくさんあります。
だから堂々と「うちは国立派なんだ」と言っていれば誰も疑いません。
ところが幼稚園に来なくなってしまったことで、「きっと全滅したから来られなのだろう」と変な勘繰りをされてしまいます。
小学校受験をするご家庭は品格を大事にされるでしょうから、声に出してそのようなことは話さないかもしれません。でも心の中では色々と考えているのではないでしょうか?
僕も妻も根っからの庶民で本当は品格もなにもないので、なおのこと勘繰ります。
小学校受験が終わってからの期間
実際小学校受験は終わってから入学するまでの期間が長すぎるので、入試が終わった後で色々なことを考えてしまいます。
妻も終わって間もない頃は進学先が決まった安心感と、ご縁を頂けた喜びで気持ちも安定していました。
ですが、しばらくすると第一志望に行けなかった悔しさと、受験期間中に取り組めなかった事柄に対する後悔が押し寄せてきました。
でも「失敗した」「悔しい」「恥ずかしい」と思っているのは自分だけです。
我が家は表面上は堂々と最後まで楽しく幼稚園に通いました。娘たちにも一番良い小学校に行けるということで通しました。
そして学校が始まってしまったら、本当に我が家にとって一番良い学校に入れたのだと心から思えるようになりました。
我が家は遠くの学校に堂々と通ってます。小さな家も僕の冴えない仕事も知られることはありません。僕も妻も学校に行く時だけ見栄え良くすれば良いのです。私立に通っている方がその点で気楽だと思っています。
近所の公立のほうが生活が丸見えで、見栄を張るのも疲れてしまいそうです。
小学校受験をやり切って、私立小学校に通っているということは、それだけでステータスです。
もし僕が
もし僕が同じように演劇をしている女の子と結婚したら、小学校受験はしないでしょう。妻が塾業界で働いていなければ小学校受験なんて一生関わることのない世界です。
ですが、きっと自分たちより華やかな舞台で活躍できる俳優に育てたいと思うのではないでしょうか。
劇団四季の俳優たちの経歴を見ると、みんな留学経験者だったり、幼い頃からバレエをやっていたりします。ほとんどが音大卒です。
結局役者として自分たちよりも上のランクを目指させるためには、小さい頃からバレエと歌を習わせて、音大に入れてというルートを歩ませなければなりません。
それもただ習わせれば良いというわけではありません。誰先生に師事して、どこぞのコンクールで入賞したというようなことが必要です。それこそ庶民が目指せる世界ではありません。
世間では受験の加熱と塾代ばかりが取り沙汰されていますが、スポーツで身を立てるのも芸術で身を立てるのも、子どもを育てるのには同じくらいお金が掛かります。
でもきっと一生懸命良い先生に教わって、音大に行かせようとするのでしょう。子どもを良い役者に育てたことが自分の評価だと思えるからです。
子どもを立派に育てることが親にとって最大の見栄です。
本当に子どものためなのか
そうなると受験をしたり、習い事をさせたりすることが本当に子どものためを思ってのことなのかという疑問が生じます。僕はブログを書くという機会の中で繰り返し自問自答しています。
そしていつも自分自身のためだという結論に行き着きます。
自分自身のためだから、教育資金は青天井になってしまうのでしょうね。
僕も妻も自分たちが成功したとは全く思っていません。
だから娘を褒められることは自分が褒められることとイコールです。
私立の制服を着た娘を連れて歩いて「すごい」と言われたかったのです。
自分自身のことでは自慢できるものを何も持っていないからです。
「娘に自分と同じコンプレックスを抱いてほしくない」と言うと子どものためのように思えて聞こえが良いです。
でも本音は娘たちが大人になった時「〇〇を習わせてもらえなかった」「〇〇ができないせいで諦めた」と恨まれることに怯えているのです。
見栄を張って生きる
僕も妻も今、見栄を張って生きています。
娘たちを良い学校に通わせて、習い事をさせて、自分たちが住める範囲で精一杯見栄えの良い家に住んで、乗れる限り精一杯見栄えの良い車に乗って、背伸びをして生きています。
子育てをしなければ、見なくて良いものがたくさんあります。好きなことだけにお金を使えます。
実際に育児をするまでは、子どもに翻弄されている人の話を聞くと「自分ならもっと上手くやれるのに」と思います。
張らなくて良い見栄もたくさんあります。
娘たちの前でも見栄を張っています。
娘たちが成長した時に「困った時はお父さんとお母さんに話してみよう」と思われるような親でありたいものです。
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