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早いご家庭はもう願書の準備を始めていらっしゃると思います。願書を書く前に家庭の教育方針と学校の方針を整理しながら、いよいよ受験なんだなと感じました。
教育方針
志望理由を考える作業は、学校の教育方針と家庭での教育方針をすり合わせる作業です。
受験する学校によって家庭で必要な教育方針も自然と出来上がってくるものです。求められている子ども像がまるっきり違う学校を受験しようとすると大変だと言われます。
確かに
「今日は幼稚舎クラスの授業だからリーダーシップ取ろうね」
と言われて
「今日は聖心クラスだからお先にどうぞだよ」
と言われたら、子どもは混乱するように思います。
我が家は幼稚舎とか早実のような、リーダーシップを求められるトップの学校なんて受けられる身分ではなかったので、実際のところは知りません。
ですが志望校を選ぶにはカラーを統一したほうが良いのだろうと考えていました。
我が家はカトリックの幼稚園に通っていました。第一志望はカトリックの女子校です。併願する学校も教育方針の似ている学校を探しました。
だから教育方針の統一はバッチリだと思っていました。自分たちこそ学校の方針と合致した「お好み」な家庭に違いないと思っていて、娘たちに足りないのはペーパーの力と、お行儀だけだと思っていました。
なんて都合の良い思考回路でしょう。
でもそれはペーパーとお行儀で他の子たちに見劣りしていたので、せめてそう思わなければ気持ちを保てなかったからです。
受験は不安しかないので、プラス思考にならなければ心がもちません。
娘たちの受験服
妻の方の祖母は裁縫が得意で、娘たちがお教室に着て行った服も受験の時に着た服も全て作ってもらいました。キリスト教系の伝統校対策として、祖母が手作りしてくれた服を感謝して着ているというのがプラスになるだろうと思っていたのです。
1月に学校別クラスが始まってから何度もやめようかと考えて、なんとか家族で乗り越えてようやくたどり着いた面接当日、他のお嬢様たちの仕立ての良い素敵な服を見て愕然としました。親も子どもも本番には普段より良い服を着ていました。
我が家は僕も妻もいつもと同じスーツとワンピース、娘も手作りの服です。貧乏くさくて完全に場違いでした。
娘のペーパーの力も立ち居振る舞いも追いついていないのですからそもそもお呼びじゃないのですが、さらに自分たちのみすぼらしさを痛感して悲しい気持ちになりました。
感謝の心、譲る心
学校別クラスで教わったことは「感謝の心」を大事にすることと「自分を下げて相手に譲る心」を大事にすることです。
双子なので順番を譲る練習は苦労せずにできました。
自分を下げる気持ちが大事なので、願書には「僭越ではございますが」を一生分書きました。
毎日登園時と降園時には園庭のマリア様の前でお祈りをし、家でも食事の前にはお祈りをし、僕は日曜に教会に通って朝の礼拝に参列しました。
家庭菜園は生産者への感謝と生き物の命を頂くことへの感謝、手作りの服を着ることは作ってくれた人への感謝と物を大切にする心を学ばせるためだと考えていました。
感謝の心を大切にするという方針は、他の学校の願書を書く際にも役立ちました。感謝の気持ちを大切にしているという教育方針をマイナスに取る学校はありません。
受験のためのインチキなものだったので、受験が終わってからは一切お祈りなどしませんし、僕も教会には通っていません。もし第一志望にご縁を頂いていたら継続していたでしょうから、今とは全然違う生活になっていたと思うと不思議です。
日々神様に感謝しながらおしとやかに暮らすなんて、今のやんちゃな娘たちの姿からは想像できません。男子の話ばかりしている娘たちが、女子校に通う姿も想像できません。運動会や音楽祭などの行事を観ると感動しますし、毎日娘たちが学校の楽しい話をしてくれて幸せです。
第一志望にご縁を頂ける
第一志望の学校にご縁を頂ける子のほうが少ないです。頭では分かっていてもやはりご縁を頂けないことは悲しいです。
あれをしておけば良かった。
怒らなければ良かった。
もっと早く始めておけば良かった。
と、後悔がどんどん押し寄せてきます。幼稚園や保育園には、あと半年近く通わなければなりません。本当だったら12月から3月まで良い気分で通う予定だったはずです。
お母さん同士の会話から合格した話を小耳に挟みます。子どもたちから
「〇〇は〇〇小学校に行くんだって」
という話を聞きます。子どもたちは容赦なく話します。
だから妻は新一年のスタートから娘たちを四谷大塚に入会させました。
ご縁を頂けなかったということは、いらないと言われたということです。
だから中学受験でもっと良い学校に行って見返したいと思うのでしょう。
僕は低学歴なので、当時から今の学校で充分と思っていましたが、妻の気持ちは分かります。
受験の後からしばらく休んでいた子もいました。
結果が出揃った頃から急に避けるようになったお母さんや、受験前まではやる気満々の風を見せていたのに、終わった途端にさも元から受験などする気がなかったように振る舞うお母さんもいました。
お母さんは幼稚園に来なくなって、代わりに出勤前に送ってくるお父さんもいました。誰もがどうにかして気持ちの整理をつけなければならなかったのだと思います。
第一志望に合格して、その体験記を書いているブログはたくさんあります。小学校受験のブログを見る人の多くは、これから受験をしようという人だと思います。だからその方がニーズもあると思います。
でもやっぱり第一志望には行けず悲しい思いをしている人の方が圧倒的に多いのです。だから僕はブログを書いています。
春になって学校に通い始めたら幸せな毎日が始まって、ご縁を頂けたことへ感謝するようになることを伝えたいのです。
入学したばかりの頃は家中バタバタの毎日を過ごして、気がつくと日々充実していて学校にも満足していました。
中学受験でリベンジなんて気持ちはあっという間に消えて、四谷大塚には1年しか通いませんでした。
着地点と高望み
僕は着地点という言葉をよく使います。高望みをしないようにとも書いています。
高望みとは背伸びして志望校を決めることではありません。ある程度背伸びはしたほうが良いのです。
高望みとは勝手に学校の価値の有る無しを決めて、ここ以外は行っても意味がないと言ったり、我が子は決まった学校よりも価値のある学校に行けたはずだと思い込んで不満を溜めたりすることです。
ご縁を頂けた学校は神様が選んでくれた1番ふさわしい学校です。価値のない私立小学校はありません。
我が家も小学校から大学附属に入ってしまえば、その後の受験費用はかからないしリーズナブルだと考えて乗り出しました。
だから最初は早稲田や青山、立教などの最終学歴として十分満足できる学校を夢見ていました。
ですがジャックに通い始めてから受験までたっぷりと時間があったことと、その間妻がたくさんの私立に通うご家庭を見てきたことで、それらの学校にご縁を頂くことの大変さを知りました。
それで年中の春に第一志望校を決めました。決めた時は堅実に志望校を選んだと思っていました。ジャックから毎年多数の合格者が出ていたからです。
ご家庭によって子どもの受験に対する考え方は様々です。事情も違います。我が家は双子じゃなかったら子どもは一人のつもりでしたから「もし下の子がいたら」という可能性はないのですが、もしいたら小学校受験をできたかどうかは分かりません。5年も6年も仕事を制限して受験に取り組むのは経済的にも体力的にも難しいからです。
庶民の我が家にとっては大学附属に入れば受験が終わるというのは魅力的でした。妻の仕事柄中学受験と大学受験にはものすごくお金が掛かるのを知っていたからです。
だから早慶や、せめてMARCH以上の小学校じゃなければ価値がないと言いたい気持ちも分かります。
ですが妻の生徒のことを見ていると、中学受験や大学受験ではその価値がないと言うような学校に入るためにみんなが大変な思いをしています。
入り口はどこでも、指定校推薦などを利用して結果的に良い大学に進学する子も大勢見ています。
そのため我が家は大学附属か進学校かに拘らずに教育方針が近いと思える学校に願書を出しました。
どこに行っても高校まで通おうと決めていました。
そう決めていてもやはり中学でリベンジしたいと思ってしまうのが人間の心です。小学校受験は、終わってから入学までの期間が長いからですよね。
通えば都
でも、通い始めれば絶対に楽しいのです。良い学校に入れてよかったと絶対に満足します。
小学校受験を考えて、実際に受験して、どこの学校からでもご縁を頂けることは、本当に貴重で素晴らしいことです。
入学式までの間、決まった学校に不満を抱くよりも、せっかく頂いたご縁を大切にしてその学校でどのように楽しく過ごすかを考えるほうが、ずっと充足した日々を送れます。
不満は子どもにも伝わります。
娘たちは毎日本当に楽しそうに学校に通っています。下の子は好きな男子と両思いだと言って幸せそうです。
確かに話を聞くとお友達のご家庭との経済格差を感じます。だからこそ双子で小学校から通っていて良かったです。きっと2人でたくましく、高校まで楽しく通ってくれるだろうと思っています。
今の娘たちを見ても、僕と妻のことを考えても、今通っている学校が本当に我が家にとって最高の学校なのだと思えます。
でも僕が一番良かったと思えることは、娘たちを偏差値という物差しで見なくて良いということです。
入学までもう少しです。春から楽しい毎日が送れますように。
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