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我が家が受験に取り組んでいた当時は僕も小学校受験関連のブログや掲示板などをいくつも見ていて、当時は「小学校受験は意味がない」というブログの記事や掲示板の書き込みなどが結構多かったように思います。
意味がないですか?
コロナ禍以降小学校受験の受験者数は毎年記録を更新しているし、意味がないと書く人はだいぶ減っているだろうと思っていましたが、Twitterで中学受験塾を経営している方なんかが小学校受験は意味がないという内容を書き込んでいるのを見て驚いています。googleの人気検索ワードでも「小学校受験 意味ない」というのが未だにランキングされています。
小学校受験を頑張った立場からすると、「意味がない」と言われたら悲しいです。
意味がないと言われるのは小学校受験ばかりです。試しに検索してみると
「中学受験 意味ない」というタイトルは、中身は中学受験を勧めているものがほとんどです。
「高校受験 意味ない」と
「大学受験 意味ない」というものはありません。
言っている方がまずいです。
なぜ小学校受験だけそんなに意味がないと言われるのでしょうか?
幼児に勉強させてかわいそうだからでしょうか?
「勉強させてかわいそう」という意見に対してはいくらでも言い返せますし、反対意見を書いているブログも多いです。僕も書いています。
ですが、今回根本的なことに気が付きました。
勉強させるのはかわいそう
そもそも幼児に勉強させるのはかわいそうだと考える親は小学校受験なんて考えません。
子どもに勉強をさせたいから小学校受験をするのです。
小学校受験の勉強はペーパーばかりではないですが、結局ペーパーに割く時間が一番多くなります。僕は吐くまでやらせてしまったこともあります。
小さいうちから勉強することが将来的に1番役立つと考えているから、勉強させて良い小学校に入れようとしているのです。
「かわいそう」なんて大きなお世話です。
子どもの習い事は親の好みと教育プランに基づいて決めるものです。
「3歳からピアノなんてかわいそう」とか「幼稚園のうちから外で走ってサッカーをやるなんてかわいそう」とは誰も言いません。ピアノもスポーツも早く始めたほうが良いことを誰でも知っていて、むしろ早く始めたほうが良いと言われます。
そもそもブログや書き込み自体が、言ってしまえば大きなお世話です。僕は「中学受験回避の小学校受験」というテーマでブログを書いていますが、中学受験を考えている人からすれば大きなお世話です。
ですが我が家のように第一志望ではない小学校に進学したり、小学校受験を途中で諦めようかと考えたりする人はたくさんいらっしゃると思うので、そういう方々と小学校受験は意味のあるものだということを共有したくてブログを書いています。
だから僕は上から目線で何かを勧めたり、ご家庭の方針を否定したりする表現はできるだけしないように心がけています。
地頭の良い子
小学校受験で入れる学校なんて早慶以外意味がなくて、MARCHクラスの学校には大学受験で入れるという意見も見られます。「地頭の良い子」は公立高校から難関大学に進学するから中学、ましてや小学校から私立に通う意味はないという趣旨の文章です。
もちろん、公立高校から難関私大や国立大学に進学する人は少なからずいるでしょう。公立から東大に進学する子だっているのです。
その場合によく言われる「地頭」というのは何でしょうか?生まれつき頭が良くて、大して勉強していないのに何故か試験は良くできる子のことでしょうか?釈迦じゃないのですから生まれつき頭が良い子なんていません。
むしろ公立高校から難関大学に進学した子に対して「地頭が良い」なんて言ったら失礼だと思います。
その子は単純に周りの何倍も努力したのではないでしょうか?周りのみんなが遊んだり寝てたりする間に勉強していたに違いないのです。もしくはうんと小さい頃からずっと勉強を積み重ねて来たのでしょう。
頭の良い子を「地頭が良い」と片付けてしまうのなら、脚が速くてサッカーが上手な子は「地脚が良い」と言うのでしょうか?聞いたことありません。
何事においても秀でていることは他の人より努力してきたことです。その努力を見ずに「生まれつき」と片付けてしまうことは努力してきた子とその親に対する侮辱です。
小学校から私立に通うか、中学から私立なのか、高校まで公立なのかはそれぞれのご家庭の方針によるもので、共通しているのは幼児期から親が勉強させていることです。中学受験は小4から始めれば良いわけではないし、高校受験は中2から始めるわけではありません。結局学力はそれまでに積み重ねてきた勉強時間の総量に比例していることが多いのではないかと妻は言います。
親の方針の問題
結局「受験」という具体的なピークをどこに設定するかという親の方針の問題ではないでしょうか。
小学校受験は意味がないと言う文章を読むと
「幼いうちに最終学歴を決めてしまうのはもったいない」とか
「小学校組は遊んでしまうから頭が悪くなる」というようなことが書かれています。
でも大学附属に小学校から通っていて、大学受験をする子はたくさんいます。小学生のうちから大学受験の準備をしている子もたくさんいます。
娘たちの学校は大学の附属という位置づけですが「意味ない」という人から見たら意味がないと言われる大学の附属です。
学校によって内部推薦と外部受験との併願システムは異なりますが、大学附属に通っていれば保険を掛けて第一志望だけを受験できる可能性は高いです。私立高校は指定校をたくさん持っていますし、それこそ人数無制限という推薦枠まであります。
女の子だから女子大が良いというご家庭もあれば、親のあとを継ぐからどこに行っても良いというご家庭もたくさんあります。
少なくとも私立の学校は良い教育をしています。小学校から高校まで通うと決めれば偏差値にとらわれずに子育てをすることができます。部活に打ち込むことも、将来の進路をじっくり考えることもできます。
何に興味を持つか
小学校入学から大学受験まで12年間あります。その間に何があるか、子どもが何に興味を持つか誰にも分かりません。
僕なんて一応は県立の片手に入るくらいの進学校には行きましたが、高校生の頃から劇団を作って演劇に現を抜かしていたので、高校3年の時点で名のある大学を受験する学力なんてありませんでした。
地方だからそもそもありえませんが、附属の学校に通えるものなら通いたかったと思っています。
娘たちもどうなっているか分かりません。上に大学が付いているのはありがたいです。少なくとも大学受験をする頃に、娘たちが今の学校を確実に押さえられる学力がある自信はありません。
今のところ大学も上に行かせるつもりです。本来なら受験に割かれるはずの時間に部活を頑張って、趣味を見つけて、どこの学部に行って何の仕事に就くか考える時間にして欲しいと思っています。
それも意味がないのでしょうか?
大学は早慶以上じゃないと意味がないのでしょうか?
下手に大学が付いていると、周りに流されて受験が大変だという記事もあります。自分の子はそこの学校で圧倒的に成績優秀で外部の大学を受験したいのに、周りの内部進学組に足を引っ張られるということですよね?かなりの上から目線です。
意味のない受験
しても意味のない受験はありません。「意味がない」というのは「しないほうが良い」という意味です。なぜそんなことを言えるのでしょうか?
僕は中学受験を一切否定していません。否定したら妻が誇りを持っている仕事の否定になります。
我が家にはとてもできないから、なんとかして回避したのです。むしろ中学受験をしているご家庭を凄いと思っています。
それぞれの家庭の方針を否定する権利は誰にもありません。
ましてや受験に関わる仕事をしているような人が「意味がない」なんて言って良いとは思えません。意味がないというのは、取り組んでいるご家庭、教室、学校の全てを否定して侮辱することです。
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