本当は自由にさせたいのにできない理由。偏差値が上がらない焦り。

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 Twitterで僕のフォロワーになって下さっている「ぬりえワールド」さんの紹介記事ということで、今回は小学校受験のぬり絵の話を書きました。

唇をかみしめる

「小学校受験のぬり絵事情」

 日本女子大学附属豊明小学校のぬり絵の試験は特に有名ですが、女子校は全般的にぬり絵を試験として課す学校が多いようです。確かにぬり絵の取り組み方を見ると、その子がどのように育てられたのか測れるように思います。

 そこから家庭のあり方や親の人間性まで判るのでしょう。たかがぬり絵ですがけっこう怖い課題です。

 我が家が志望していた学校も女子校だったので、家庭学習でぬり絵はたくさん取り組みました。

「本来ぬり絵のもつ意味」

 本来ぬり絵は子どもの感受性色彩感覚を育てるのに、この上なく良いものだと思うのですが、小学校受験の取り組みとして行うぬり絵は目的が違います。

 子どもの情操教育が目的なら、好きな色で自由に、はみ出しても良いから溢れるエネルギーを思いっきりぶつけて、楽しくぬり絵をさせたいところです。空を赤く塗ろうが、うさぎが緑だろうが、樹がピンクだろうが本当は良いのです。色をベタベタに濃く塗ろうが、はみ出していようが構いません。

「元気いっぱいな明るい色で塗れたね!色の組み合わせが綺麗だね!」

と褒めれば、絵がどんどん好きになって、色彩感覚も育っていくと思います。

 僕は自分は芸術系の人間だと思っています。絵も好きです。だから娘が年中まではそうやってぬり絵をさせていました。綺麗に、はみ出さずに上手に塗ることは、自由に塗ることの先にあって、自然と上手にできるようになると思っていました。

 ところがいざ年長になって180度変わってしまいました。

「縁取りをしなさい!」

「はみ出してはいけません!」

「薄く塗りなさい!」

と怒りながら「自由な発想でエネルギッシュに」とは程遠い取り組み方になっていました。

 なぜそうなってしまったかと言うと、お教室の周りのお友達と比べてしまったからです。

「〇〇ちゃんははみ出さないで綺麗に塗っている」

「〇〇ちゃんはちゃんと正しい色で塗っている」

「なのにうちの子は……」

 受験となると他の子より上手にできないといけないと思って焦りが生まれます。

「偏差値が上がらない」

 妻は生徒のお母さんから

「こんなに頑張っているのに偏差値が上がらない。なぜでしょう?」

と相談を受けるそうです。

 僕は塾というものに行ったことがないので、勉強のことはよく分かりません。だから妻から聞いていても、勉強しているのに偏差値が上がらないという意味が本当はよく分かりませんでした。今回ぬり絵のことを書こうと思い、考えている内にようやくその意味が分かりました。

 ぬり絵も、絵も、歌も、体操も練習を積み重ねれば確実に力がついて上手になります。色も正しく選べるようになるし、はみ出さずに薄く塗れるようになってきます。でも、他の子も上手になっています。

 勉強も同じだそうです。積み重ねれば覚えている単語の数も文法的知識も増えています。数ヶ月前より確実に力がついています。それでも偏差値が上がらないのは、周りの子もみんな力がついているからです。

 でも、我が子の頑張りを目の当たりにすると偏差値が努力の評価だと勘違いしてしまうそうです。

 僕も小学校受験で同じ気持ちになりました。娘の頑張りを目にしているから、あまりの努力の報われなさに気が狂いそうになりました。

 娘たちは毎日毎日怒られながら取り組んで、僕の目から見れば確実に上手になっていきました。ペーパーもそうです。それなのに僕は満足できませんでした

「もっと丁寧に」

「もっと速く」

と、どんどん要求が高くなっていっただけでした。授業に出るたびに

「やっぱり〇〇ちゃんはもっと上手だ」

「やっぱり〇〇ちゃんは花丸がいっぱいだ」

と思ってしまうからです。

 どんどん焦りました。

 娘が飽きて雑に塗ると腹が立って、塗っている途中の紙を取り上げてグチャグチャに丸めて捨てて、何度も娘を泣かせていました。

 

「本当は自由にさせたいのに」

 本当は自由にやらせたいのに逆に厳しくしてしまう。我が家の場合はもそうでした。

 僕のスマホには泣きながら「ひみつのアッコちゃん」を歌っている長女の動画が残っています。

 僕は歌も好きなので娘には歌が上手になってほしいと願っています。

 娘が妻のお腹にいた頃には、僕がギターを弾いて三人で楽しく歌う絵を楽しみに想像していました。

 以前も書きましたがその時に空想している子どもは、歌が上手な子どもでした

 ぬり絵と同じで、歌も年中までは楽しく取り組みました。

 でも、やはり年長になってから僕はスパルタになりました。面接で特に売りのない我が家は、歌を「得意なこと」にしようと躍起になっていたのです。

 元役者の子どもが音痴だなんてプライドが許しませんでした。

 それに歌のとびきり上手な子を育てられれば、仕事でも学歴でも敵わない他のお父さんたちに対抗できる、自身の価値の証明になると思い込んでいました。冷静に考えれば、そんなわけないんですけどね。

「そこは二拍伸ばせ」

「そこの音が取れてないから、あとの音程がずれる」

などと言っては、よく娘たちを泣かせていました。

 本当なら嫌いになってしまってもおかしくなかったと思います。

 双子だから良かったと思います。双子だから僕の怒りが分散して、一人で背負い込むことがなかったのでしょう。

 娘たちは「お父さんが怒っているのは小学校受験のためだ」と思っていたのだと思います。歌もぬり絵も、ペーパーや体操と同じ勉強の一環だと思っていたのでしょう。

 怒られても毎日毎日泣きながら取り組んでいたのは、小学校に入るためだと思って頑張っていたのだと思います。

 妻も小学校受験という目的があったから、僕が歌や絵を厳しく教えていても見逃してくれていたのでしょうね。普通だったら止めます。

 絵や歌や読み聞かせなら対抗できると思っていましたが、結局小学校に入ったらプロとして芸術系の仕事をされている親御さんがたくさんいらっしゃいました。芸術事なら対抗できると思っていたのは勘違いでした。

「子どもに託してしまうもの」

 親の希望、プライド、そういったものを子どもに押し付けて自分の理想の子に仕立て上げたいと思う気持ち。そんな親の気持ちが子どもにプレッシャーをかけて潰してしまうことはよくあることなのでしょう。

 スポーツが得意になってほしい、勉強ができるようになってほしいなど、別段プロを目指させなくても、子どもに「なってほしい」姿はどの親もみんな持っていると思います。

 我が家の場合はそれが小学校受験でした。なんとか本番の試験までに理想の子どもに仕上げたいと、周りの子を気にして焦りばかりが強くなっていました。

 理想の子と現実に目の前に居る我が子との差が焦りを生みます。受験の場合はタイムリミットがあるので余計です。

 想像の中では子どもは元気に上手に歌を歌い、子どもらしい自由な発想で伸び伸びと絵を描いています。

 自由に描くなんて子どもにとっては難しいことを、実際に我が子の絵を目にしてはじめて知りました。

 受験が終わってから、娘たちがやたらとぬり絵の本を欲しがった時期がありました。与えたぬり絵は、好きな色で自由に線など気にせずに塗っていました。娘たちも自由に描きたい気持ちを押さえつけて勉強のために歌もぬり絵も取り組んでいたのだと気が付きました。

 小学校受験だったから、ぎりぎり娘たちを潰すことなく終わらせることができたのだと思います。スパルタにしてしまった嫌な思い出を回復する時間は、その後充分にあります。

 今娘たちが僕と一緒に歌ったり、絵を描いたりしてくれるのは、ちゃんとご縁を頂けて私立小学校に入ることができたからだと感謝しています。

 もし終わりにできなかったら、また6年間娘たちに我慢をさせなければならないところでした。

 それに中学生になってからでは、押さえつけてしまった時間を取り戻す猶予が残されているのか分かりません。

 親になるまでは、子どもを潰してしまう親なんて駄目な親だと思っていました。でも、自分が子育てをしてみるとよく分かります。子どもとの距離感は難しいと思い知ります。幼い子どもは親から褒められたいがために、たとえどんなに親が怒っても必死で応えようとします。

 長女が泣きながら歌う「ひみつのアッコちゃん」は、これからの子育てで僕がまたスパルタになってしまわないように、ずっと残しておこうと思っています。

「再度、ぬり絵のこと」

 余談ですが、ぬり絵で困ったのはうさぎです。クマやキリンは色が分かりやすいので良いのですが、うさぎって何色で塗れば良いのか困りませんか?野ウサギのように茶色で塗っても可愛くないし、白では塗れません。

「うさぎは何色で塗ればいいの?」

と聞かれて

「ピンクかな?」

と答えると、ピンクのうさぎなんていないと言われました。たしかにピンクのうさぎなんていません。なのにうさぎさんはぬり絵用の教材にたくさん登場します。

ぬりえワールドさんのサイトには、無料でダウンロードできる魅力的なぬり絵がたくさんアップロードされています。リンクになっているので、是非ご覧になってみて下さい。

 今回はこの辺で。読んで下さってありがとうございました。