親が子どもに言ってはいけない言葉。受験や習い事に関わること。

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 親が子どもに言ってはいけない言葉は色々ありますが、「お父さん(お母さん)は頑張っている」という言葉もその中の1つに含まれるのではないでしょうか?

 娘たちが練習を真面目にやらない様子を見ると、どうしても「こんなに頑張って通わせてるのに、なぜ真剣にやらないんだ」と腹が立ちます。

「お父さんは頑張って通わせてるんだから、頑張って」と言ってはいけないと分かっていても言ってしまいます。

 この言葉の裏に隠れている本当の気持ちは「お金がないのに」「高いのに」です。

 私は本当にお金がないので頑張って習い事をさせています。だから時々つい言ってしまっては妻に怒られます。

 先日、夏休みに行く予定の陸上クラブの合宿の栞が届きました。持ち物を見ると、練習用のトレーニングウエアが一人6SET必要と書かれていました。2泊3日で毎日午前午後と練習するためです。二人合わせると12組もウエアが必要です。それを見て私は困ってしまいました。我が家には娘の陸上の練習用に買ったTシャツが4枚と、走る時にも履けるようなハーフパンツが5枚しかありません。必要な枚数にはシャツが8枚とハーフパンツが7枚足りないのです。

 ただでさえ夏休みで出費が嵩む予定です。シャツ8枚とハーフパンツ7枚分の出費は我が家にとっては大きな出費です。

 予定外の出費が生じると、私はつい目先の金勘定をしてしまいます。そして、できるだけ節約できないか考えます。Tシャツは6枚ずつ必要だろうけど、ハーフパンツは一日1枚計算で3枚で足りるだろうかとか、小学校の体操服も使えるのではないかとか。

 娘たちがお風呂に入っている間に、妻にその事を相談したら案の定怒られました。

 更に私の声が娘たちにも聞こえていたようで、上の娘が気を遣って「学校の体操着でも良いよ、ズボンも一日に1つで良い」と言ってきました。

 娘に気を遣わせてしまいました。

 娘たちが寝た後で妻から「合宿に行くための準備も整えられないなら、陸上なんて辞めさせるべきだ」と言われました。

 妻は教える仕事をしているので、親に気を遣う子は出来るようにならないと言います。

 考えてみると、このようなことがきっかけで習い事を辞めたり、受験から撤退するご家庭が多いのかもしれません。

 習い事も塾もそうですが、月謝だけ見ると支払えるような気がします。ですが、習い事も今回の陸上のように合宿があったり、検定試験や大会や発表会があったりします。娘たちが通っているIEも「施設使用料」が半年に一度まとめて引き落とされます。SAPIXなどの受験塾も講習があり模試があります。早稲アカにはコロナ前まで合宿もありました。予定していなかった出費は何にでもあります。

「合宿は参加しないで、その分家で勉強しよう」

などと、私なら考えてしまいそうです。そんな時は、周りの子はみんな合宿に参加して、先生も合宿の話をしている中で、自分だけ参加できない子どもの気持ちは見ないことにするでしょう。

 親が一番悲しいのは、自分の収入のせいで、子どもに思う存分お金を掛けてあげられないことではないでしょうか?

 塾代、習い事代を頑張って捻出しているのに、子どもが一生懸命やらないと不満を抱くのは逆ギレと同じで、実は自分のせいなのだと分かっているのだと思います。

 昔から結婚して子を育てて一人前と言われます。それは子育てをすることによって、自分を見つめ直すきっかけになるからです。

 私は、娘が生まれなければ今でも劇団にいてお金にならない芝居を続けていたでしょう。同じ演劇という分野で自分よりお金を稼いでいる人たちがいることは知っていても、「自分のやりたいことは、今やっていることだ」と言って、自分よりも名が売れている人たちを見なければ、惨めに感じることもありません。

 自分一人のことなら、自分の身の丈にあったことをして、自分が納得していれば充分なのです。

 ところが、子育てをしていると自分だけの納得では済まなくなります。私はお教室で娘と他の優秀なお子さんを比べていましたが、それは本当は子どもを通して自分と優秀な子のお父さんを比べていたのです。

「子どもには自分より上に行ってもらいたい」

 親なら誰でもそう思っているはずです。だから子どものことに関しては背伸びをします。そうすると本来なら関わることのなかった、自分よりもランクの高い人を見ることになります。特に庶民が小学校受験や中学受験をするとそうなるはずです。 

 だから惨めな思いをして、自分のことを振り返らざるを得なくなります。自分が若い頃に逃げてしまったこと、逃げてしまった結果が今であることを認めなければならなくなります。

 だからせめて子どものことに関しては、あの医者のお父さん、経営者のお父さんと並び立ちたいと切望しても、現在の自分は過去からの積み重ねの上にあるので、どうすることもできません。私がこれから医者になることも、経営者になることもできないのです。

 ものすごく惨めな気持ちになります。私は娘が生まれて、小学校受験に取り組まなければ惨めな思いなどすることはなかったでしょう。

 自分が惨めな思いをしていることの不満を、「子どもがちゃんとやらない」という言葉に置き換えて子どもに八つ当たりをしてしまうから、「俺は頑張って通わせているのだから、ちゃんと頑張ってくれ」という言葉になります。だから、そんな言葉は言ってはいけないのです。

「お金がない」のは自分のせいです。

 親は自分が手にできなかった物を子どもに手にして欲しいと願います。我が家の場合、妻は良い教育環境で小中の時代を過ごすことで、私は良い学歴でした。さらに私は、運動の出来る子という要素も加わっています。

 私は今でこそ身体を鍛えて運動することが好きですが、子どもの頃は運動が嫌いでした。大人になって思うと、本来私は頭で色々考えるよりも、身体を動かす方が性分に合っています。だから子どもの頃からスポーツに何かしら取り組んでいたら、今とは違う人生だったと思っています。

 自分が取りこぼしてしまった物を得るという希望を子どもに託して、習い事をさせ、受験させる親はたくさんいるはずです。

 そのための投資は惜しまないと、最初のうちは誰もが思っているはずです。気持ちはあるのに収入が追いつかなくなると、途端に惨めな気持ちになります。

「お父さんが頑張ってくれているんだから、私も頑張って結果を出そう」

と幼い子どもに思わせてしまうことは子どもの足枷にしかなりません。

 子どもに思いを託すのは親の勝手なのです。

 娘たちを育てる中で、私は自分の幼さや駄目さに気付かされます。子育ての本当の良さは、親が自分を見つめ直し、やり直すきっかけを得られることなのかもしれません。